新年あけましておめでとうございます。
2005年2月よりあれこれと日常のことなど綴ってまいりましたこの【NOTES】ですが、年月が経つにつれ使用しているプラットフォームが、文章の段落間に広告で茶々を入れるようになったので、続きは「no+e」の方に書いてゆくことにしました。 ホームページは「.com」日記のような書き物は「blog」の呼称を選ぶのがマジョリティだった2005年頃、天邪鬼のような性格と、「こっちの方が意味合い的に好きだな」という好みで、サイトのドメインは「kenota.net」日記は「NOTES」を選んだら、20年後に「NOTES」から「no+e」へ、とコンテンツ名ほぼ変えずに移行できたというラッキーなお話。大文字の【NOTES】は近年あまり投稿できておりませんでしたが、小文字の「no+e」は白地のプラットフォームデザインや目次など、読みやすいデザインが良い感じなので、いろいろ投稿してみようと思います。 今後ともどうぞ、お見知り置きいただけたら幸いです。
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by ken_ota
| 2025-01-03 23:58
一昨日は石井彰さんとわたしのDUOでのLIVEがありまして、それはそれは素晴らしい音楽の時間だったわけですが、
そういえば、このこのPIANO DUOという演奏形態 、JAZZミュージシャンになってから今日までずっと続いているような気がして。今となっては知る人ぞ知る感じであろう、わたしとPIANO DUOの軌跡を、松本圭司さんとのPIANO DUOアルバム「TETE-A-TETE Ⅱ」をリリースするこのタイミングで、ちょっと振り返ってみようかなと思います。思い出せなくなる前の備忘録とも言えます。。 ●1990年代 わたしがフルタイムミュージシャンとして活動を始めたのは1997年、27歳くらいの頃からなのですが、当時はPIANO DUOのLIVEは全然やってなくて、初めてPIANO DUOをやったのは1998年の公式初録音作品CD『ジャズ新選組』(KING RECORD)で、斉藤真理子さんとDUOでレコーディングした「Tenderly」だったような。 (YouTubeにありました…) 四半世紀の月日を経て聴いてみると、今とそんなに変わらないような気も… わたしのPIANO DUO「初めて」のお相手の真理子姐さんの演奏、素晴らしいです。 この頃から毎月出演していた宇宙一小さいJAZZスポット高田馬場「HotHouse」では、オーナーのアキさんブッキングにより、故・本田竹広さんのような偉大な先輩とのDUOの夜もあったりして、音楽的に右も左もわからなかった当時の自分には勿体無い貴重な機会だったなあと。もう叶わないけれど、いまの自分でもう一度ご一緒させていただき、もっと多くのものを学べたらと思うこと、よくあります。 ●2000年代 ミュージシャン業に専念するようになって8年、2006年にわたしのデビュー作品「Swingroove」(ユニバーサルミュージック)を発表することが出来たわけですが、そこに1曲、PIANO DUOを収録しました。このCD全曲で弾いてもらった早間美紀さんとの「思いがかさなるその前に」(平井堅)です。(YouTubeにはありませんでした…) この演奏はアルバム唯一のソプラノサックス曲なんですが、これがソプラノとピアノのDUOの初めての演奏だった気がします。その翌年の2007年、クリヤマコトさんが音楽監修した映画「富嶽百景〜遥かなる場所」で2曲、クリヤサンのピアノとDUOをさせていただきました。 ウチの父は、わたしの録音モノのなかでこのCDでの演奏が一番好きだと言っております。豆知識。 ●2010年代 六本木にあったJazzClub「Softwind」のオーナー松木さんより「石井彰さんとのDUOをぜひウチでやってください」とオファーをいただき、この頃から定期的にやらせていただくようになりました。DUOの記録は残ってないのですが、ドラムのセバスチャン・カプティーンが参加した夜の映像がありました。渋い… また、2010年、日比谷公会堂での「Summer Jazz」というフェスティバル主催者様の発案によって組まれたユニット「5Cats」(鈴木央紹ts 太田剣as ハクエイキムp 日野賢二eb 大槻KALTA英宣ds)での活動で意気投合したハクエイさんとDUOで全国あちらこちらへツアーするようにもなり、PIANO DUOでの活動の巾も広がってゆきます。 高田馬場HotHouseでは大槻KALTA英宣さんとのDUOが毎月の定例となっていましたが、PIANO DUOの日もあって、いろんな方々とご一緒させていただきましたね。 これは新澤健一郎さんとの回↓ この頃、六本木の全日空ホテルのラウンジで熊谷ヤスマサさんと定期的にPIANO DUOで出演していて、Wayne Shorterの曲とかWynton Marsalisの「Delfeayo's Dilemma」とかおよそラウンジには似つかわしくない曲を「スタンダード研究会」と称してソフトに演奏していたのはとても楽しい時間でした。そんななか、サックス専門誌「The Sax」より付録教則CD用に「NewYork State of Mind」をDUOでお願いしますとの依頼をいただき、熊ちゃんと録音しました。流石にYouTubeにUPされてないですね。w 有楽町のJAZZ BAR「季立」では吉岡秀晃さんと、相模大野「ALMA」では若井優也さんや佐藤浩一さんと。そして本厚木「Cabin」や銀座「No Bird」成城学園前「Cafe Beulmans」では今日の「TETE-A-TETE」へと繋がる松本圭司さんとのDUOをやらせていただいてました。 ●2020年代 2018年に20年ぶりに再会することが出来た和泉宏隆さんと、2019年からPIANO DUOをやらせていただくようになり、鎌倉「Space-kaj」や本厚木「Cabin」、桜木町「Dolphy」などに出演しました。 その流れで、わたしの15年ぶりのリーダーアルバム「Songs from the Heart」(SCRAMASAX RECORDS)は和泉さんに全曲参加していただき、和泉さん作曲「Love Ballad」はDUOでレコーディングしました。デビューアルバム「Swingroove」同様に、リーダー作品に1曲はPIANO DUOを入れる人、みたいになってますね。w 同じく2021年に初作品をリリースしたユニット“k.a.t.”(秋田慎治・土井孝幸・太田剣)での定期的な活動や、平賀マリカさんのトリオでの演奏をきっかけに最近は秋田慎治さんとのPIANO DUOの機会も増えています。 この頃、茅ヶ崎のJAZZ BAR「Storyville」のオーナー菅原さんからのオファーで始まったスガダイローさんとのDUOでは、さらにこの形態での演奏の地平が拡がるような内容となって、いろいろ開眼することも多いですね。 そして2022年、全編PIANO DUOによる作品「TETE-A-TETE/太田剣&松本圭司」(SCRAMASAX RECORDS)リリース。録音もアートワークも、全て松本さんわたしが担当した「二人だけで(TETE-A-TETE)」というこのPIANO DUOは、なんと言いますか、四半世紀、演奏を続けてきて朧げながら見えてきたわたしの音楽的スタンスとやりたいことを、まるでエスパーのような洞察力と圧倒的なクオリティでササっと音にしてしまう松本さんとの胸のすくような共同作業なんですが、もうすぐリリースされる「TETE-A-TETE Ⅱ」ともども、作ってきた新曲を二人で一度通してみるリハーサルなどしてなくて。「このくらいのテンポで、ソロはどちらからで、終わりはこんな感じで…」というあっても無くても大差ないような作曲者からの軽いディレクションのみで、いきなり録音しながら演奏→「良かったかも」と採用しているので、どの曲も殆どファーストテイクなんです。エスパー松本、凄すぎですね。。 そして2024年、用賀にある「工房花屋」のオーナー鈴木さんからのオファーで石井彰さんと10年ぶりのDUOが実現しました。あの頃より、少しはマシになったのか、なってないのかわからないわたしの演奏も、石井さんのピアノと音を重ねると途端に浄化されてゆくかのような、そんな貴重な機会をいただけて嬉しい限りです。 そんなわけで、ざっと25年のわたしとPIANO DUOの軌跡を書き記してみました。 2024年12月13日、先行リリース「TETE-A-TETE Ⅱ」レーベルオンラインストア限定でご予約受付中です。 下記のツアー会場でもご購入いただけます。 ●12/17(火)桜木町「Dolphy」 ●12/18(水)静岡「Lifetime」 ●12/21(土)神戸「Gallery Zing」 ●12/22(日)名古屋「Mr.Kenny's」 わたしとPIANO DUOのこの1枚。 聴いていただけたら嬉しいです。 ![]() #
by ken_ota
| 2024-12-01 22:52
1週間まえの8月24日、和泉宏隆さんのトリビュートアルバム『Unforgotten Saga/和泉宏隆&フレンズ』が発売になりました。その時に書こうと思いながらも、日々のあれやこれやでなかなか時間がとれていなかったところへ、いま大流行のアレを何処からか貰ってしまい、演奏とかリハーサルとかレッスンとかに行けず、皆様には多々ご迷惑をおかけすることになってしまいましたが、これを書く時間は出来ました。このご時世、一事が万事、前向きにとらえてゆかねば。
生前の和泉さんがスタジオ録音に参加した最後の作品は、2021年2〜3月録音の僕のCD『SONGS FROM THE HEART/太田剣 with 和泉宏隆』なのですが、今回のトリビュートアルバムには、これまで発表されていなかった和泉さんのピアノ録音を用いて製作された曲など、4曲の和泉さんの初出音源も含まれていて、「あ、僕のアルバムの後に和泉さんの作品が世に出たんだ」という嬉しい気持ちになりました。和泉さんの曲が今もあちこちで演奏され続けていることに日々感じる継続感が、CDという作品の面でも続いていて、僕の作品で「終わりじゃなかった」という喜びとも言えます。 このアルバムの総合プロデュースを担当された鳥山雄司さんのディレクションは、各曲のサウンドメイキングや曲順など細部にいたるまで行き届いていて流石の素晴らしさ。和泉さんの在籍した二つのグループ、T-SQUARE+PYRAMIDのような夢のサウンドの1曲目【Portrait of Angel】のエンディングでの和泉さんのピアノ、からの和泉さんが敬愛していたLars Janssonさんのソロピアノへの流れなんて感涙モノです。『ヤンソン先生の演奏と並べるのなんてやめてよ〜』なんて空の向こうで言ってそうですが。。収録された曲いずれもが、和泉さんの『フレンズ』の皆様の思いを感じる演奏ばかりです。 僕の演奏はヤンソン先生の次の3曲目(汗)。ライブのMCなどでは話していましたが、今回新録音したこの曲【Northern Island Breeze】は和泉さんと僕との約束の1曲だったことを、アルバムリリースに際して書き記しておこうと思います。 ここ数年、和泉さんがメインアーティストとして出演する中学・高校の芸術鑑賞会に度々参加させていただいていました。プログラム的には、和泉さんのソロピアノに始まり、須藤満さん(eb)がいらっしゃる時はお二人で『Hiromitsu』の演奏、そしてドラムの石川雅春さんが加わって【Northern Island Breeze】(和泉さん曰く『北の島のそよ風』)という流れで、その次の曲から僕が加わってQuartet編成になるわけですが、そんなわけで僕はいつも舞台袖でこの曲を聴きながら「これ、テナーサックスで吹いたらカッコ良いだろうなあ。。」と妄想を膨らませていたわけです。 そして、僕がリーダーのLIVEに和泉さんをスペシャルゲストとしてお迎えした時に「ノーザンアイランドブリーズ、テナーで吹かせてもらってもいいですか?」のお願いを快諾してくれて、それ以来、和泉さんをお迎えするLIVEではQuartetでもDUOでも毎回演奏させてもらっていました。そして件の自分のCD録音の際に、僕としては恐れ多くてお伺いをたてることも躊躇っていましたが、和泉さんの方から『僕の曲もCDに入れてよ〜』と笑いながらおっしゃってくれたので、すかさず「え!いいんですか?」と話が進んだわけですが、その流れならば当然といえば当然の如く、和泉さんは【Northern Island Breeze】テナーバージョンを録るのだろう、と思われたご様子で。このとき僕は、アルトサックス奏者として長年やってきた自分の久々のリーダー作ということで、アルトとソプラノだけで完結したい、という気持ちがあったのと、【Northern Island Breeze】は大好きだけれど、リリースLIVEやツアーで持ってゆく楽器が1つ増えるなあ...というLIVE現場での身体的事情を鑑みたりして、ちょっと悩んだのでした。(電車でテナーとアルトとソプラノとスーツケースを抱えての移動はなかなかヘビーだったりもします。。) この作品のレコーディングの休憩時間に、和泉さん『早く次のアルバムも作ろうよ〜』僕「え!まだこのアルバム全曲録り終えてないですよ(笑)」なんてやりとりもありまして、そんなことから【Northern Island Breeze】は次作に収録しましょうと約束をして、そのレコーディングでは和泉さんが候補として挙げてくれた別の曲【After The Ship Has Gone】と【Love Ballad】を収録しました。 そして和泉さんの旅立ちから1年。トリビュートアルバムへの参加のお話をいただいて、はじめはレクイエム的なオリジナル曲を書いて捧げようかとも思ったのですが、プロデューサー鳥山雄司さんの「しんみりした作品じゃない方がいいかな」というディレクションを聞いて、あ、それならば、と約束だった【Northern Island Breeze】の新録音を提案させていただいたわけです。僕のCDで和泉さんと共にレコーディングし、和泉さんが旅立つ数時間前まで御茶ノ水『NARU』でのレコ発LIVEで一緒に演奏していた西嶋 徹さん(b)と河村 亮(ds)くん、そして昨年5月に無観客配信した和泉さんトリビュートLIVEでも素晴らしい演奏をしてくれた長年のミュージシャン仲間、松本圭司くん(p)を迎えての新録音。昨年和泉さんとレコーディングした日からちょうど一年と二日後でした。作曲者である和泉さんも含めた5人の人生や思いが重なった良いテイクが録れたと思います。 (昨年三月に和泉さんのピアノトリオ“The Water Colors”と共演した【Northern Island Breeze】はこちらの1曲目に→【YouTube】) 和泉さんのお姿と溢れ出るダジャレトークはいま何処に、と、そんな感じの1年4ヶ月が経とうとしていますが、先日初めて招聘されて伺った八丈島ジャズフェスティバルでは、9年前に新設されたホールの柿落としに出演した和泉さんのスピリットを島の皆さんの演奏から感じたり(『北の島』ならぬ『南の島のそよ風』を感じながら、なんて和泉さんなら言うのかも)、4〜5月に開催された『和泉さんを偲ぶ会』では多くのファンの方の思いを受けながら、和泉さんとは一緒に演奏してなかった曲をそのピアノ録音とDUOしたり、今も途切れることなくずっと新たな共演が続いているような感覚です。【Northern Island Breeze】が世に出たことで、約束の一つを果たせたのですが、実はまだ他に『この曲を剣ちゃんのサックスで録音したいんだよね〜』と和泉さんに言われていた曲があと3曲ほどありまして。。 その約束も、少しづつ実現させてゆきますよ、和泉さん。まだまだお付き合いくださいね。 ![]() #
by ken_ota
| 2022-08-30 23:37
先週、座っていた椅子の背後から『バキッ』という音がしたので見てみたら、背もたれの付け根の部分の鉄板が折れていて。
座ることは出来るけれど、背もたれは「なんだかなあ」と首を傾げる人のような角度(写真左)のまま、垂直固定出来ない状態。 これはもうちょっと無理かなあと、練習や譜面・書類作成などの諸作業もあるので、後継機種のモノを購入しました(写真右)。 椅子選びのこだわりポイントは ●高さ調節可能 ●リクライニング機能付き ●肘掛け無し 座ってサックスを吹くのに肘掛けは無用の長物なんですよね。笑 小学生の頃の学習机の椅子を除けば、14歳(中2)の時に親に買ってもらった『初代』自分椅子に座り続けること26年。 受験勉強も、10年間毎日書いていた日記も、33kgくらいだった体重が50kg台になってゆくのも、 全て共に過ごした椅子でしたが、2009年に力尽き、遂にお別れの時が来ました。 その椅子の写真は残念ながらアルバムに見当たらないのですが、 長年の感謝の気持ちを込めて『Hardware Love』という曲を書き、 昨年リリースしたCD『SONGS FROM THE HEART/太田剣 with 和泉宏隆』に収録。 【CDはココをクリック】 近年は須田晶子さん&成田祐一クンとのLIVE【TAN-BO】 (お二人のDUOユニット“Botan”を文字って。須田/成田/太田で『田んぼ』笑)で 須田さんがこの曲を癒しの美声で歌ってくれるのを横で聴くたびに、初代の椅子との思い出が脳裏に蘇ったりしていて。 自分でメロディ吹いてる時にはそんな余裕は無いのですけれど。。 先週壊れてしまった『2代目』椅子が来た日のことはblog【NOTES】に記してました。 【2009.04.03『ハードウェア・ラブ』】 先週土曜のLIVEのアンコールは、2代目椅子との2009年から2022年までの13年間を想いながら 『Hardware Love』を吹きました。後でiPhone録音を聴いたこの曲のアルトの音は、その日一番優しい感じだったような。 今週はこの椅子ともお別れで、また少し寂しくなります。長い間ありがとう、と笑顔で見送れるかな。 (初代)26年→(2代目)13年…と、その付き合いの長さは半分くらいだったんだなあと。 昔のモノは強かったのか、単に体重が軽かったからなのか?『3代目』とはどのくらい付き合えるだろう。 初代を超える30年〜40年選手になってくれたらいいなあ、という希望と期待を込めて、これからどうぞよろしくね。 【追記】 初代椅子と同じ時に部屋に来たスピーカーは37年の付き合いで、 右スピーカー上、CD前にあるのはCD収録曲『Travelin‘ Clock』の時計。かれこれ25年くらい一緒に時を刻み続けてます。 ![]() #
by ken_ota
| 2022-02-01 11:01
NOTESという名のブログ更新、また1年空いてしまいました。皆様こんにちは。
デビューアルバム『SWINGROOVE』から15年、 2021年春、自身2枚目のリーダー作『SONGS FROM THE HEART』をリリースしました。 このCDを作りたいと思ったきっかけは3年前。2018年に、 ピアニスト和泉宏隆さんと20年ぶりに再会したことでした。 『風景』を超えて『ストーリー』の見える和泉さんのピアニズムには、 音楽云々以前に、生きて人と繋がる人生の機微がそこここに溢れていて、 自分の過ごしてきた日々で感じ、芽生えた感情や体験を音にしたいと思っていた僕には、 和泉さんのピアノはこの上なく尊く、欠かすことのできないワンアンドオンリーのものでした。 ミュージシャンとして自分が生きた証の一つとして、どうしても和泉さんとの作品を残したいという 強い思いが自分の背中を押しまくり、ついにCDが完成! 5月の全国店頭発売に先がけ、4月25日CD先行発売ライブ開催の運びとなったのですが、 その夜が和泉さんとの最後の共演となったこと、翌日、月曜日の午後に知りました。 今月も来月も、その先も和泉さんとの演奏の予定は決まっていましたし、 今年も来年もその先もずっと、一緒に演奏したり作品を作ってゆけたらと、 共に歩む音楽人生の未来に夢を膨らませていた矢先、一人遠くへ旅立たれた和泉さん。 その数時間前は御茶ノ水で一緒に演奏して笑っていたのに。。 知らせを受けても、何が何だか、、ずっと悪い夢を見ているようで、 この夢が醒めるのをずっと待ち続けていたから 『安らかに。』なんて、自ら書くさよならの手紙みたいな言葉は全然出てこなくて。 それでも時はステディに同じリズムで進んで行き、 今日5月2日、和泉さんへ、しばしの別れのご挨拶をする日がやってきました。 横たわるお姿を拝見してみると、お洒落なペイズリーのシャツを着ているせいか、 本番前の楽屋でちょっとうたた寝をしているいつもの和泉さんの寝顔のようにしか見えなくて 声には出しませんでしたが、心の中で 『和泉さん、もう本番ですよ、そろそろ起きてください、そろそろ、、、』 と何度も呟いたのですが、ずっと眠りっぱなしで。 そこで初めて実感しました。和泉さんとの日々の続きは、ちょっと先のことになるんだなと。 眠ったままの和泉さんに、僭越ながら弔辞を読ませていただきました。 僕の後には鳥山さん、安藤さんが長年の友に胸打つ語りかけの言葉を。 3人分の弔辞は和泉さんが持って行ってしまったので、 僕の分だけこちらに残しておきます。 共演の日々を通して教えていただいたこと、 ずっと気にかけ優しくしていただいた愛情、 一緒に過ごした日々の思い出、 それらすべてを胸に、和泉さんが最後に残してくれたこの音楽を 多くの人に届けてゆきたいと思います。 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 弔 辞 和泉さんの人生において 僕よりも遥かに長く濃く 音楽を共にしてきた方々が大勢いらっしゃるなか 和泉さんのラストレコーディングとなった作品のリーダーとして また和泉さん最後の三日間を共に過ごした者として 僭越ながら今日ここに 弔辞を読ませていただきます 初めてお会いしたのは一九九八年 代々木のジャズクラブ『ナル』でのライブでしたが 二度目の共演は二〇一八年 実に二十年ぶりの再会でした 和泉さんより直々にオファーいただいての演奏は子供の頃から『ザ・スクエア』のファンだった自分には とても恐れ多いことでしたが 好きな音楽の話で盛り上がってしまったせいか ひと回り違いの同じ戌年生まれのせいか あっという間に意気投合してしまい 僕のバンドのライブにも参加していただくようになりました そうこうするうち 和泉さんとの作品を残したいという大それた夢を抱くようになった僕は 重い腰と重いフットワークを返上し この二月にレコーディングをお願いし 四月にはCD完成 その録音中から和泉さんは『早く次のアルバム作ろうよ』と言ってくれて 夢は膨らむ一方でした 先週金曜日 四月二十三日の夜『ライブの音合わせしたいからウチに来てよ おなかを空かせて』と お誘いを受けご自宅に伺うと 厨房に立つ『シェフ和泉』さんが前夜から仕込んだステーキ肉や わざわざ仕入れたというタラバ蟹などを使った料理の数々をテーブルに並べて 『剣ちゃんのCD完成祝いだ』と食べきれないほどのご馳走を振る舞ってくれました 和泉さんのピアノの音色の様に優しく身体に沁み渡る味付け最高でした 音合わせは ありませんでした 食後一緒に水戸に前ノリし 翌日四月二十四日の土曜日はジャズクラブ『ガールトーク』に二人で出演 その翌日 四月二十五日の日曜日は 正午から水戸芸術館でのパイプオルガンと 僕のサックスによるクラシックコンサートを『これが聴きたかったんだよ』と 和泉さんは客席で鑑賞してくれました それが何よりのハイプレッシャーでしたけれど その後一緒に帰京して夕方から御茶ノ水のジャズクラブ『ナル』でCDの発売ライブでした リハ中は少し眠たそうにしていた和泉さんも 本番ではいつもどおりの 『真面目な演奏と面白いお喋り』で店内を沸かしてくれました 和泉さんとの初めてのCDリリースライブは最高のひとときでしたが その夜 床についた和泉さんが天に召されたこと 一夜明けた月曜午後に知らせを受けました密に過ごさせてもらって充実の三年間でしたが この続きはまた今度 空の向こうで なんですね 代々木の『ナル』で始まった共演は 御茶ノ水の『ナル』で一旦おしまいなんだと 『若い頃 ジャズピアニストになりたくってさあ』が口癖だった和泉さん 僕のCDレコーディングで『こんなにジャズ寄りの作品に参加したのは初めてだよ』とのことでしたが 少しはお役に立てたでしょうか? 僕は和泉さんを最高のジャズピアニストだと思っていましたし 先日 電話で『剣ちゃんは僕の救世主だからさあ』と冗談のように言ってくれましたが 和泉さんこそ僕の救世主でした 最後の演奏となったアンコールの『宝島』 楽しかったです 今頃はきっと雲の上の宝島でのんびりですね?なんて言ったら 笑いの達人の和泉さんに『ベタだなあ そんなんじゃ笑わないよ』と軽くいなされそうですが 人生初の弔辞を こんなにも早く それも和泉さんに読むとは夢にも思ってなかったのでお許しください 次に会うときまで『真面目な演奏と面白いお喋り』に磨きをかけておきます 和泉さん 本当にお世話になりました ありがとうございました あなたの隣でサックスを吹けて幸せでした 合掌 令和三年五月二日 太田 剣 〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓〓 ![]() #
by ken_ota
| 2021-05-02 19:39
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