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22.8.30.和泉さんとの約束

1週間まえの8月24日、和泉宏隆さんのトリビュートアルバム『Unforgotten Saga/和泉宏隆&フレンズ』が発売になりました。その時に書こうと思いながらも、日々のあれやこれやでなかなか時間がとれていなかったところへ、いま大流行のアレを何処からか貰ってしまい、演奏とかリハーサルとかレッスンとかに行けず、皆様には多々ご迷惑をおかけすることになってしまいましたが、これを書く時間は出来ました。このご時世、一事が万事、前向きにとらえてゆかねば。

生前の和泉さんがスタジオ録音に参加した最後の作品は、2021年2〜3月録音の僕のCD『SONGS FROM THE HEART/太田剣 with 和泉宏隆』なのですが、今回のトリビュートアルバムには、これまで発表されていなかった和泉さんのピアノ録音を用いて製作された曲など、4曲の和泉さんの初出音源も含まれていて、「あ、僕のアルバムの後に和泉さんの作品が世に出たんだ」という嬉しい気持ちになりました。和泉さんの曲が今もあちこちで演奏され続けていることに日々感じる継続感が、CDという作品の面でも続いていて、僕の作品で「終わりじゃなかった」という喜びとも言えます。

このアルバムの総合プロデュースを担当された鳥山雄司さんのディレクションは、各曲のサウンドメイキングや曲順など細部にいたるまで行き届いていて流石の素晴らしさ。和泉さんの在籍した二つのグループ、T-SQUARE+PYRAMIDのような夢のサウンドの1曲目【Portrait of Angel】のエンディングでの和泉さんのピアノ、からの和泉さんが敬愛していたLars Janssonさんのソロピアノへの流れなんて感涙モノです。『ヤンソン先生の演奏と並べるのなんてやめてよ〜』なんて空の向こうで言ってそうですが。。収録された曲いずれもが、和泉さんの『フレンズ』の皆様の思いを感じる演奏ばかりです。

僕の演奏はヤンソン先生の次の3曲目(汗)。ライブのMCなどでは話していましたが、今回新録音したこの曲【Northern Island Breeze】は和泉さんと僕との約束の1曲だったことを、アルバムリリースに際して書き記しておこうと思います。

ここ数年、和泉さんがメインアーティストとして出演する中学・高校の芸術鑑賞会に度々参加させていただいていました。プログラム的には、和泉さんのソロピアノに始まり、須藤満さん(eb)がいらっしゃる時はお二人で『Hiromitsu』の演奏、そしてドラムの石川雅春さんが加わって【Northern Island Breeze】(和泉さん曰く『北の島のそよ風』)という流れで、その次の曲から僕が加わってQuartet編成になるわけですが、そんなわけで僕はいつも舞台袖でこの曲を聴きながら「これ、テナーサックスで吹いたらカッコ良いだろうなあ。。」と妄想を膨らませていたわけです。

そして、僕がリーダーのLIVEに和泉さんをスペシャルゲストとしてお迎えした時に「ノーザンアイランドブリーズ、テナーで吹かせてもらってもいいですか?」のお願いを快諾してくれて、それ以来、和泉さんをお迎えするLIVEではQuartetでもDUOでも毎回演奏させてもらっていました。そして件の自分のCD録音の際に、僕としては恐れ多くてお伺いをたてることも躊躇っていましたが、和泉さんの方から『僕の曲もCDに入れてよ〜』と笑いながらおっしゃってくれたので、すかさず「え!いいんですか?」と話が進んだわけですが、その流れならば当然といえば当然の如く、和泉さんは【Northern Island Breeze】テナーバージョンを録るのだろう、と思われたご様子で。このとき僕は、アルトサックス奏者として長年やってきた自分の久々のリーダー作ということで、アルトとソプラノだけで完結したい、という気持ちがあったのと、【Northern Island Breeze】は大好きだけれど、リリースLIVEやツアーで持ってゆく楽器が1つ増えるなあ...というLIVE現場での身体的事情を鑑みたりして、ちょっと悩んだのでした。(電車でテナーとアルトとソプラノとスーツケースを抱えての移動はなかなかヘビーだったりもします。。)

この作品のレコーディングの休憩時間に、和泉さん『早く次のアルバムも作ろうよ〜』僕「え!まだこのアルバム全曲録り終えてないですよ(笑)」なんてやりとりもありまして、そんなことから【Northern Island Breeze】は次作に収録しましょうと約束をして、そのレコーディングでは和泉さんが候補として挙げてくれた別の曲【After The Ship Has Gone】と【Love Ballad】を収録しました。

そして和泉さんの旅立ちから1年。トリビュートアルバムへの参加のお話をいただいて、はじめはレクイエム的なオリジナル曲を書いて捧げようかとも思ったのですが、プロデューサー鳥山雄司さんの「しんみりした作品じゃない方がいいかな」というディレクションを聞いて、あ、それならば、と約束だった【Northern Island Breeze】の新録音を提案させていただいたわけです。僕のCDで和泉さんと共にレコーディングし、和泉さんが旅立つ数時間前まで御茶ノ水『NARU』でのレコ発LIVEで一緒に演奏していた西嶋 徹さん(b)と河村 亮(ds)くん、そして昨年5月に無観客配信した和泉さんトリビュートLIVEでも素晴らしい演奏をしてくれた長年のミュージシャン仲間、松本圭司くん(p)を迎えての新録音。昨年和泉さんとレコーディングした日からちょうど一年と二日後でした。作曲者である和泉さんも含めた5人の人生や思いが重なった良いテイクが録れたと思います。
(昨年三月に和泉さんのピアノトリオ“The Water Colors”と共演した【Northern Island Breeze】はこちらの1曲目に→【YouTube】

和泉さんのお姿と溢れ出るダジャレトークはいま何処に、と、そんな感じの1年4ヶ月が経とうとしていますが、先日初めて招聘されて伺った八丈島ジャズフェスティバルでは、9年前に新設されたホールの柿落としに出演した和泉さんのスピリットを島の皆さんの演奏から感じたり(『北の島』ならぬ『南の島のそよ風』を感じながら、なんて和泉さんなら言うのかも)、4〜5月に開催された『和泉さんを偲ぶ会』では多くのファンの方の思いを受けながら、和泉さんとは一緒に演奏してなかった曲をそのピアノ録音とDUOしたり、今も途切れることなくずっと新たな共演が続いているような感覚です。【Northern Island Breeze】が世に出たことで、約束の一つを果たせたのですが、実はまだ他に『この曲を剣ちゃんのサックスで録音したいんだよね〜』と和泉さんに言われていた曲があと3曲ほどありまして。。

その約束も、少しづつ実現させてゆきますよ、和泉さん。まだまだお付き合いくださいね。
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# by ken_ota | 2022-08-30 23:37

22.2.1.(続)ハードウェア・ラブ

先週、座っていた椅子の背後から『バキッ』という音がしたので見てみたら、背もたれの付け根の部分の鉄板が折れていて。
座ることは出来るけれど、背もたれは「なんだかなあ」と首を傾げる人のような角度(写真左)のまま、垂直固定出来ない状態。
これはもうちょっと無理かなあと、練習や譜面・書類作成などの諸作業もあるので、後継機種のモノを購入しました(写真右)。
椅子選びのこだわりポイントは
●高さ調節可能
●リクライニング機能付き
●肘掛け無し
座ってサックスを吹くのに肘掛けは無用の長物なんですよね。笑
小学生の頃の学習机の椅子を除けば、14歳(中2)の時に親に買ってもらった『初代』自分椅子に座り続けること26年。
受験勉強も、10年間毎日書いていた日記も、33kgくらいだった体重が50kg台になってゆくのも、
全て共に過ごした椅子でしたが、2009年に力尽き、遂にお別れの時が来ました。
その椅子の写真は残念ながらアルバムに見当たらないのですが、
長年の感謝の気持ちを込めて『Hardware Love』という曲を書き、
昨年リリースしたCD『SONGS FROM THE HEART/太田剣 with 和泉宏隆』に収録。
【CDはココをクリック】

近年は須田晶子さん&成田祐一クンとのLIVE【TAN-BO】
(お二人のDUOユニット“Botan”を文字って。須田/成田/太田で『田んぼ』笑)で
須田さんがこの曲を癒しの美声で歌ってくれるのを横で聴くたびに、初代の椅子との思い出が脳裏に蘇ったりしていて。
自分でメロディ吹いてる時にはそんな余裕は無いのですけれど。。
先週壊れてしまった『2代目』椅子が来た日のことはblog【NOTES】に記してました。
【2009.04.03『ハードウェア・ラブ』】

先週土曜のLIVEのアンコールは、2代目椅子との2009年から2022年までの13年間を想いながら
『Hardware Love』を吹きました。後でiPhone録音を聴いたこの曲のアルトの音は、その日一番優しい感じだったような。
今週はこの椅子ともお別れで、また少し寂しくなります。長い間ありがとう、と笑顔で見送れるかな。
(初代)26年→(2代目)13年…と、その付き合いの長さは半分くらいだったんだなあと。
昔のモノは強かったのか、単に体重が軽かったからなのか?『3代目』とはどのくらい付き合えるだろう。
初代を超える30年〜40年選手になってくれたらいいなあ、という希望と期待を込めて、これからどうぞよろしくね。

【追記】
初代椅子と同じ時に部屋に来たスピーカーは37年の付き合いで、
右スピーカー上、CD前にあるのはCD収録曲『Travelin‘ Clock』の時計。かれこれ25年くらい一緒に時を刻み続けてます。
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# by ken_ota | 2022-02-01 11:01

21.5.2 和泉宏隆さんへの手紙

NOTESという名のブログ更新、また1年空いてしまいました。皆様こんにちは。

デビューアルバム『SWINGROOVE』から15年、
2021年春、自身2枚目のリーダー作『SONGS FROM THE HEART』をリリースしました。

このCDを作りたいと思ったきっかけは3年前。2018年に、
ピアニスト和泉宏隆さんと20年ぶりに再会したことでした。
『風景』を超えて『ストーリー』の見える和泉さんのピアニズムには、
音楽云々以前に、生きて人と繋がる人生の機微がそこここに溢れていて、
自分の過ごしてきた日々で感じ、芽生えた感情や体験を音にしたいと思っていた僕には、
和泉さんのピアノはこの上なく尊く、欠かすことのできないワンアンドオンリーのものでした。

ミュージシャンとして自分が生きた証の一つとして、どうしても和泉さんとの作品を残したいという
強い思いが自分の背中を押しまくり、ついにCDが完成!
5月の全国店頭発売に先がけ、4月25日CD先行発売ライブ開催の運びとなったのですが、
その夜が和泉さんとの最後の共演となったこと、翌日、月曜日の午後に知りました。

今月も来月も、その先も和泉さんとの演奏の予定は決まっていましたし、
今年も来年もその先もずっと、一緒に演奏したり作品を作ってゆけたらと、
共に歩む音楽人生の未来に夢を膨らませていた矢先、一人遠くへ旅立たれた和泉さん。
その数時間前は御茶ノ水で一緒に演奏して笑っていたのに。。
知らせを受けても、何が何だか、、ずっと悪い夢を見ているようで、
この夢が醒めるのをずっと待ち続けていたから
『安らかに。』なんて、自ら書くさよならの手紙みたいな言葉は全然出てこなくて。

それでも時はステディに同じリズムで進んで行き、
今日5月2日、和泉さんへ、しばしの別れのご挨拶をする日がやってきました。

横たわるお姿を拝見してみると、お洒落なペイズリーのシャツを着ているせいか、
本番前の楽屋でちょっとうたた寝をしているいつもの和泉さんの寝顔のようにしか見えなくて
声には出しませんでしたが、心の中で
『和泉さん、もう本番ですよ、そろそろ起きてください、そろそろ、、、』
と何度も呟いたのですが、ずっと眠りっぱなしで。
そこで初めて実感しました。和泉さんとの日々の続きは、ちょっと先のことになるんだなと。

眠ったままの和泉さんに、僭越ながら弔辞を読ませていただきました。
僕の後には鳥山さん、安藤さんが長年の友に胸打つ語りかけの言葉を。

3人分の弔辞は和泉さんが持って行ってしまったので、
僕の分だけこちらに残しておきます。

共演の日々を通して教えていただいたこと、
ずっと気にかけ優しくしていただいた愛情、
一緒に過ごした日々の思い出、
それらすべてを胸に、和泉さんが最後に残してくれたこの音楽を
多くの人に届けてゆきたいと思います。


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弔 辞


和泉さんの人生において 僕よりも遥かに長く濃く 音楽を共にしてきた方々が大勢いらっしゃるなか 
和泉さんのラストレコーディングとなった作品のリーダーとして 
また和泉さん最後の三日間を共に過ごした者として 
僭越ながら今日ここに 弔辞を読ませていただきます

初めてお会いしたのは一九九八年 代々木のジャズクラブ『ナル』でのライブでしたが 
二度目の共演は二〇一八年 実に二十年ぶりの再会でした 
和泉さんより直々にオファーいただいての演奏は子供の頃から『ザ・スクエア』のファンだった自分には
とても恐れ多いことでしたが 好きな音楽の話で盛り上がってしまったせいか 
ひと回り違いの同じ戌年生まれのせいか あっという間に意気投合してしまい 
僕のバンドのライブにも参加していただくようになりました 

そうこうするうち 和泉さんとの作品を残したいという大それた夢を抱くようになった僕は 
重い腰と重いフットワークを返上し この二月にレコーディングをお願いし 
四月にはCD完成 その録音中から和泉さんは『早く次のアルバム作ろうよ』と言ってくれて 
夢は膨らむ一方でした

先週金曜日 四月二十三日の夜『ライブの音合わせしたいからウチに来てよ おなかを空かせて』と
お誘いを受けご自宅に伺うと 厨房に立つ『シェフ和泉』さんが前夜から仕込んだステーキ肉や 
わざわざ仕入れたというタラバ蟹などを使った料理の数々をテーブルに並べて
『剣ちゃんのCD完成祝いだ』と食べきれないほどのご馳走を振る舞ってくれました 
和泉さんのピアノの音色の様に優しく身体に沁み渡る味付け最高でした 
音合わせは ありませんでした

食後一緒に水戸に前ノリし 翌日四月二十四日の土曜日はジャズクラブ『ガールトーク』に二人で出演 
その翌日 四月二十五日の日曜日は 正午から水戸芸術館でのパイプオルガンと
僕のサックスによるクラシックコンサートを『これが聴きたかったんだよ』と
和泉さんは客席で鑑賞してくれました それが何よりのハイプレッシャーでしたけれど

その後一緒に帰京して夕方から御茶ノ水のジャズクラブ『ナル』でCDの発売ライブでした 
リハ中は少し眠たそうにしていた和泉さんも 本番ではいつもどおりの
『真面目な演奏と面白いお喋り』で店内を沸かしてくれました 
和泉さんとの初めてのCDリリースライブは最高のひとときでしたが
その夜 床についた和泉さんが天に召されたこと 一夜明けた月曜午後に知らせを受けました

密に過ごさせてもらって充実の三年間でしたが 
この続きはまた今度 空の向こうで なんですね 
代々木の『ナル』で始まった共演は 御茶ノ水の『ナル』で一旦おしまいなんだと

『若い頃 ジャズピアニストになりたくってさあ』が口癖だった和泉さん 
僕のCDレコーディングで『こんなにジャズ寄りの作品に参加したのは初めてだよ』とのことでしたが
少しはお役に立てたでしょうか? 僕は和泉さんを最高のジャズピアニストだと思っていましたし 
先日 電話で『剣ちゃんは僕の救世主だからさあ』と冗談のように言ってくれましたが 
和泉さんこそ僕の救世主でした 最後の演奏となったアンコールの『宝島』 楽しかったです 
今頃はきっと雲の上の宝島でのんびりですね?なんて言ったら 
笑いの達人の和泉さんに『ベタだなあ そんなんじゃ笑わないよ』と軽くいなされそうですが 
人生初の弔辞を こんなにも早く それも和泉さんに読むとは夢にも思ってなかったのでお許しください 
次に会うときまで『真面目な演奏と面白いお喋り』に磨きをかけておきます

和泉さん 本当にお世話になりました ありがとうございました
あなたの隣でサックスを吹けて幸せでした

合掌


令和三年五月二日

太田 剣

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# by ken_ota | 2021-05-02 19:39

20.1.3 年の初めのCD全曲解説

皆様、新年あけましておめでとうございます。


『21世紀の〜夜明けは近い〜♪』と夏の盆踊りで聴いていた子供の頃には
想像も出来なかった『未来』である21世紀をもう五分の一も生きたことに気づき、
刻一刻と過ぎ行く時間の容赦無さに軽く眩暈すら覚える2020年のお正月。

昨年末に『Organic Bop!!』というCDをリリースいたしまして、
制作・録音・リリース・販売にお力添えいただいた皆々様、
そしてお買い求めいただいた皆様に厚く御礼の意味も込めまして、
更新の久々すぎるblogですが、
CDブックレットには記されていないこのユニットのこと、
収録曲のことなどを書き記してみようかと思います。


●ユニット『Organic Bop!!』の歴史(アーティスト名は敬称略で失礼します)

『SOULIVE』とかJoshua Redman(ts)『Elastic』バンドなどJam Band〜オルガンジャズの
ムーブメントが盛り上がっていた21世紀初頭、金子雄太(org)『AQUAPIT』や
小沼ようすけ(g)『nu Jazz』バンドのLIVEで活動しながら、

僕自身もオルガンを中心とした『Organic!!』というLIVEを
僕・金子雄太・大槻カルタ英宣で細々と演っておりました。

そのユニットのLIVE活動をお休みして数年。

僕(as)川崎太一朗(tp)河合代介(org)大槻カルタ英宣(ds)という、
ラリー・ヤング(org)の名盤『UNITY』編成の『2Horns Bop!!』というユニットで
LIVEやツアーをし続けているなかで、1ホーンの選曲があったり、
ツアーの予算の都合もあったり(泣)で『2Horn』とはならないLIVEもありまして、、
前述の『Organic!!』と『2Horns Bop!!』をミックスした『Organic Bop!!』となりました。
太田剣・河合代介・大槻カルタ英宣で。

「オルガンでハードバップ」「オーガニック(自然有機的)なジャズ」という
Wミーニングなユニット名ですと説明しておりますが、後付けではありませんよ、決して。

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

●CD『Organic Bop!!』全曲解説!

ハモンドオルガンという楽器は、左手もしくは足でベースを弾き、
両手でハーモニーとメロディ(ソロも)を奏でるということで
通常2人ないしは3人で担っているパートを一人で演る、という重責があるため
オルガニストがナチュラルに身体に馴染んだ曲を演奏するのが
Sounds Good!な音楽へと繋がることもありまして、
選曲は河合代介さんのレパートリー&太田剣チョイス曲で構成されております。


1.【 Mellow Mood(Jimmy Smith)】

言わずと知れたジャズオルガンの神様、ジミー・スミスの曲。
1968年作品『Further Adventures of Jimmy and Wes』というジミー・スミスと
ウェス・モンゴメリー(g)の共演盤での演奏が有名ですが僕等はテンポ速めの
ファンクバージョンで録音してみました。

2.【 Mimosa(Geoge Benson)】

ジミー・スミスの『Off The Top』(1982年)が世界初録音かと思いますが、
そこに参加したジョージ・ベンソン(g)が提供した彼のオリジナル曲。
ジョージ・ベンソン(g)自身の作品ではアール・クルー(g)との共演盤、
『Collaboration』(1987年)に収録。ジミー・スミス盤では演奏されていなかった
ドラマティックなイントロ兼アウトロのメロディを吹くのが好き。

3.【 Dania(Jaco Pastorious)】

作曲者ジャコ・パストリアス自身の公式録音はおそらく
1985年の『Brain Melvin's Nightfood』だけ?1983年の日本ツアーでも演奏されてしてました。
結構な高速テンポで演っちゃったので、たしか1テイクだけしか録音してないかと。
別テイクありません。。

4.【 Lost Highway(太田剣)】

小林陽一(ds)Good FellasでツアーやLIVEを共にしていた
5歳年下のベーシスト高道晴久クンが空の向こうへ旅立って7年。
参列した彼の葬儀の日に見た高い高い青空と、
その頃の連休中に大渋滞の高速道路を降りてLIVEに向かう道すがら、
初めて見た素晴らしい景色の二つが心の中で入り混じって出てきたメロディ。
bass(clarinet)で奏でたよ、高道クン。
「高速道路を見失った」「高道クンが居なくなった」という2つの意味が曲名に。

5.【 New Season,New Scene(太田剣)】

初期『Organic!!』の頃に作った曲で、
冬が終わって春が来ると
新たな出会いもいろいろあるけれど
昨日まで毎日のように会っていた人に全然会わない日々が始まったりもして
高揚感とセンチメンタルが同居する感じを曲にしてみたような。だったような。

6.【 Asteroid(Charles Earland)】

チャールス・アーランド(org)の1974年作品『Leaving This Planet』に収録されている
ファンキーなSwingナンバー。曲のことを『ナンバー』って言うの、さすがに令和ではNG?
聞くだけで気分がアガってしまうバンプを延々と繰り返すエンディングでのドラムソロは
途中でフェードアウトさせる予定で録音してたのですが、
内容が素晴らしかったので最後まで採用、ということで長いんです。

7.【 Youkali(Kurt Weill)】

1934年に大作曲家クルト・ワイルがミュージカルのために作曲した曲で
ジャズよりもシャンソンやオペラ歌手に歌われることが多い名曲。2曲目の『ミモザ』と、
この『ユーカリ』。植物の名の付く2曲を収録した点が『オーガニック』バップ!! の
Wミーニングを後付けではないという証拠です。
でもこの曲の『ユーカリ』は樹木のことではなくて想像上の『島』のことらしい。。

8.【 Mr.Fonebone(Bob Mintzer)】

ボブ・ミンツァー(ts)がイントロを吹き始めたものの、バンドリーダーの
ジャコ・パストリアスが一向にステージ袖から出て来なくてランディー・ブレッカー(tp)らと
「おい、この状況どーする?」みたいに顔を見合わせてる6分半くらいが面白い
ライブの映像などでもお馴染みの楽しい曲。
こういう人間くさいやりとりの体裁を整えずに見せる/聴かせるのもジャズの魅力の一つかと。。

9.【 Grandmother's Waltz(太田剣)】

子供の頃、夕食後に家族でコタツでみかんでテレビとかを見てる時に
おばあちゃんはいつも正座で身体をゆっくりゆらゆらさせながら隣にいてくれたなあ、と。
数年前に他界したおばあちゃんを想っていて出来た曲です。
ビル・エバンス(p)とスタン・ゲッツ(ts)の演奏で有名な『Grandfather's Waltz』は
おじいちゃんの方だったので、おばあちゃん子だった僕はおばあちゃんの歌を。


ジミー・スミスが2曲、
ジャコも2曲、
樹木の曲が2曲、
忘れられない人を偲ぶ歌が2曲、
Wミーニング(ユニット名&曲名)も2つ、、、と、

こうしてみるとなかなか、双子座の自分らしい内容だなあと、思いました。
さすがにこれは後付けです。。


今年もどうぞよろしくお願いいたします。



2020年 新春  太田 剣
20.1.3    年の初めのCD全曲解説_e0038558_11342144.jpg

# by ken_ota | 2020-01-04 21:15

18.1.2 巡り巡る縁の不思議

新年あけましておめでとうございます。
昨年も多くの皆様に大変お世話になり
つつがなく新年を迎えることができました。
どうもありがとうございます。本年も何卒、よろしくお願いいたします。

LIVEやその他、自分の音楽活動についてお知らせすることが多いもので、
それらはTwitter、FacebookなどのSNSで投稿、
それ以外のトピックやお話をこちら「NOTES」に記そうと目的別にしてみたところ、
連日、LIVEの告知や感想の投稿が先立ってしまい、
あっ、と気がついた時には、こちら「NOTES」丸2年更新してなくて
書こうと思いたった時はうっかりログインネームを忘れている始末。。
記憶を辿って何とかログインできました。ああ良かった。

明日は地元、愛知の名古屋で新年初LIVE、という日の前夜ですが
ふと振り返ってみると、昨年は何だか不思議な年だったなあと
偶然にしては出来すぎていた、縁の巡り合わせを記しておきたくなりました。

早稲田大学第一文学部に入学した18歳の僕は
福永武彦など、日本の近現代文学を専攻するつもりで中国語を第二外国語に選択。
しかしロシア文学の魅力に魅かれてしまい「ロシア文学専修」に進むため
第三外国語としてロシア語を別途受講するという、若さからくる勢い任せの
エネルギッシュな学生だったわけですが、ロシア語の難しさが身にこたえたのか、
卒業後は酒瓶ラベルのロシア語を読む時くらいしかロシア語と接してませんでした。

一昨年、じゃなくてもう二昨年か。2015年の新春に、京都の仁和寺の境内で
真冬の寒空の下、早朝に女優の栗山千明さんを前にサックスを吹くことになりまして。
日テレ「心の都へスペシャル」という番組のロケだったのですが
出演回のテーマが「桜」ということで桜の名所で吹く「桜」モチーフの曲を
作って欲しいと言われ「桜の記憶」という曲を書いたのですが、
作曲の際にピアノの前に座って頭に浮かんだのは
大学の頃、春先に公園のベンチに座っていた自分をまるで何か祝福するかのように
風に吹かれて空から舞い降りてきた桜の花びらの風景でした。

そして昨年、自分のバンドで海外公演の依頼を受けたのですが、その行き先はロシア。
これまでにも、クリヤマコトさん率いる日豪混合バンドでオーストラリア、
小沼ようすけバンドでジャカルタ、大槻カルタ英宣バンドでアメリカのデトロイトなど
海外公演は色々ありましたが、自分名義で最初の海外進出がロシアというのは
なかなかの奇縁だなと。北海道の北に位置するサハリンでのジャズフェスティバル、
開催会場は「サハリン島」という作品でこの地を紹介したロシアの文豪、チェーホフに因んだ
「チェーホフ劇場」でした。チェーホフといえば「桜の園」。その戯曲作品を思い出した時、
チェーホフ劇場で自作曲「桜の記憶」を演奏するのは最早、僕にとっては必然でしかなく、
当夜のステージ上での自分のMCは全て、25年ぶりに話すロシア語で通しました。
翌朝、ロシアのインターネットNEWSでとりあげられたフェスの記事には
「彼らは『SAKURA MEMORY』を演奏した」と書かれていて
ロシア語MCが通じていて良かったなあと。
→ロシア「SAKHALIN INFO」

ロシア文学を学んでなかったら、ロシア語でMCはしなかっただろうし
チェーホフも「桜の園」も知らなかった。
ジャズを演ってなかったら、TV番組にも出なかったろうし
「桜の記憶」という曲を作ってもいなかった。
桜の木の下のベンチに座ってなかったら
桜の記憶も自分の中にはなかっただろう。

25年の時を経て、生きてきた道のりで培った色々なものが
巡り巡って繋がった、そんな不思議な2017年でした。

さて2018年。今年も色々頑張ります。
また近々、きっとこちらにもログインしますので、
その際はまたご一読どうぞよろしく、よろしくお願いいたします。


2018 新春 太田 剣
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# by ken_ota | 2018-01-03 03:55