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21.5.2 和泉宏隆さんへの手紙

NOTESという名のブログ更新、また1年空いてしまいました。皆様こんにちは。

デビューアルバム『SWINGROOVE』から15年、
2021年春、自身2枚目のリーダー作『SONGS FROM THE HEART』をリリースしました。

このCDを作りたいと思ったきっかけは3年前。2018年に、
ピアニスト和泉宏隆さんと20年ぶりに再会したことでした。
『風景』を超えて『ストーリー』の見える和泉さんのピアニズムには、
音楽云々以前に、生きて人と繋がる人生の機微がそこここに溢れていて、
自分の過ごしてきた日々で感じ、芽生えた感情や体験を音にしたいと思っていた僕には、
和泉さんのピアノはこの上なく尊く、欠かすことのできないワンアンドオンリーのものでした。

ミュージシャンとして自分が生きた証の一つとして、どうしても和泉さんとの作品を残したいという
強い思いが自分の背中を押しまくり、ついにCDが完成!
5月の全国店頭発売に先がけ、4月25日CD先行発売ライブ開催の運びとなったのですが、
その夜が和泉さんとの最後の共演となったこと、翌日、月曜日の午後に知りました。

今月も来月も、その先も和泉さんとの演奏の予定は決まっていましたし、
今年も来年もその先もずっと、一緒に演奏したり作品を作ってゆけたらと、
共に歩む音楽人生の未来に夢を膨らませていた矢先、一人遠くへ旅立たれた和泉さん。
その数時間前は御茶ノ水で一緒に演奏して笑っていたのに。。
知らせを受けても、何が何だか、、ずっと悪い夢を見ているようで、
この夢が醒めるのをずっと待ち続けていたから
『安らかに。』なんて、自ら書くさよならの手紙みたいな言葉は全然出てこなくて。

それでも時はステディに同じリズムで進んで行き、
今日5月2日、和泉さんへ、しばしの別れのご挨拶をする日がやってきました。

横たわるお姿を拝見してみると、お洒落なペイズリーのシャツを着ているせいか、
本番前の楽屋でちょっとうたた寝をしているいつもの和泉さんの寝顔のようにしか見えなくて
声には出しませんでしたが、心の中で
『和泉さん、もう本番ですよ、そろそろ起きてください、そろそろ、、、』
と何度も呟いたのですが、ずっと眠りっぱなしで。
そこで初めて実感しました。和泉さんとの日々の続きは、ちょっと先のことになるんだなと。

眠ったままの和泉さんに、僭越ながら弔辞を読ませていただきました。
僕の後には鳥山さん、安藤さんが長年の友に胸打つ語りかけの言葉を。

3人分の弔辞は和泉さんが持って行ってしまったので、
僕の分だけこちらに残しておきます。

共演の日々を通して教えていただいたこと、
ずっと気にかけ優しくしていただいた愛情、
一緒に過ごした日々の思い出、
それらすべてを胸に、和泉さんが最後に残してくれたこの音楽を
多くの人に届けてゆきたいと思います。


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弔 辞


和泉さんの人生において 僕よりも遥かに長く濃く 音楽を共にしてきた方々が大勢いらっしゃるなか 
和泉さんのラストレコーディングとなった作品のリーダーとして 
また和泉さん最後の三日間を共に過ごした者として 
僭越ながら今日ここに 弔辞を読ませていただきます

初めてお会いしたのは一九九八年 代々木のジャズクラブ『ナル』でのライブでしたが 
二度目の共演は二〇一八年 実に二十年ぶりの再会でした 
和泉さんより直々にオファーいただいての演奏は子供の頃から『ザ・スクエア』のファンだった自分には
とても恐れ多いことでしたが 好きな音楽の話で盛り上がってしまったせいか 
ひと回り違いの同じ戌年生まれのせいか あっという間に意気投合してしまい 
僕のバンドのライブにも参加していただくようになりました 

そうこうするうち 和泉さんとの作品を残したいという大それた夢を抱くようになった僕は 
重い腰と重いフットワークを返上し この二月にレコーディングをお願いし 
四月にはCD完成 その録音中から和泉さんは『早く次のアルバム作ろうよ』と言ってくれて 
夢は膨らむ一方でした

先週金曜日 四月二十三日の夜『ライブの音合わせしたいからウチに来てよ おなかを空かせて』と
お誘いを受けご自宅に伺うと 厨房に立つ『シェフ和泉』さんが前夜から仕込んだステーキ肉や 
わざわざ仕入れたというタラバ蟹などを使った料理の数々をテーブルに並べて
『剣ちゃんのCD完成祝いだ』と食べきれないほどのご馳走を振る舞ってくれました 
和泉さんのピアノの音色の様に優しく身体に沁み渡る味付け最高でした 
音合わせは ありませんでした

食後一緒に水戸に前ノリし 翌日四月二十四日の土曜日はジャズクラブ『ガールトーク』に二人で出演 
その翌日 四月二十五日の日曜日は 正午から水戸芸術館でのパイプオルガンと
僕のサックスによるクラシックコンサートを『これが聴きたかったんだよ』と
和泉さんは客席で鑑賞してくれました それが何よりのハイプレッシャーでしたけれど

その後一緒に帰京して夕方から御茶ノ水のジャズクラブ『ナル』でCDの発売ライブでした 
リハ中は少し眠たそうにしていた和泉さんも 本番ではいつもどおりの
『真面目な演奏と面白いお喋り』で店内を沸かしてくれました 
和泉さんとの初めてのCDリリースライブは最高のひとときでしたが
その夜 床についた和泉さんが天に召されたこと 一夜明けた月曜午後に知らせを受けました

密に過ごさせてもらって充実の三年間でしたが 
この続きはまた今度 空の向こうで なんですね 
代々木の『ナル』で始まった共演は 御茶ノ水の『ナル』で一旦おしまいなんだと

『若い頃 ジャズピアニストになりたくってさあ』が口癖だった和泉さん 
僕のCDレコーディングで『こんなにジャズ寄りの作品に参加したのは初めてだよ』とのことでしたが
少しはお役に立てたでしょうか? 僕は和泉さんを最高のジャズピアニストだと思っていましたし 
先日 電話で『剣ちゃんは僕の救世主だからさあ』と冗談のように言ってくれましたが 
和泉さんこそ僕の救世主でした 最後の演奏となったアンコールの『宝島』 楽しかったです 
今頃はきっと雲の上の宝島でのんびりですね?なんて言ったら 
笑いの達人の和泉さんに『ベタだなあ そんなんじゃ笑わないよ』と軽くいなされそうですが 
人生初の弔辞を こんなにも早く それも和泉さんに読むとは夢にも思ってなかったのでお許しください 
次に会うときまで『真面目な演奏と面白いお喋り』に磨きをかけておきます

和泉さん 本当にお世話になりました ありがとうございました
あなたの隣でサックスを吹けて幸せでした

合掌


令和三年五月二日

太田 剣

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by ken_ota | 2021-05-02 19:39
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