NOTES
2023-08-04T17:55:33+09:00
ken_ota
太田剣
Excite Blog
22.8.30.和泉さんとの約束
http://kenota.exblog.jp/30086045/
2022-08-30T23:37:00+09:00
2022-08-31T16:58:30+09:00
2022-08-30T23:37:01+09:00
ken_ota
未分類
生前の和泉さんがスタジオ録音に参加した最後の作品は、2021年2〜3月録音の僕のCD『SONGS FROM THE HEART/太田剣 with 和泉宏隆』なのですが、今回のトリビュートアルバムには、これまで発表されていなかった和泉さんのピアノ録音を用いて製作された曲など、4曲の和泉さんの初出音源も含まれていて、「あ、僕のアルバムの後に和泉さんの作品が世に出たんだ」という嬉しい気持ちになりました。和泉さんの曲が今もあちこちで演奏され続けていることに日々感じる継続感が、CDという作品の面でも続いていて、僕の作品で「終わりじゃなかった」という喜びとも言えます。
このアルバムの総合プロデュースを担当された鳥山雄司さんのディレクションは、各曲のサウンドメイキングや曲順など細部にいたるまで行き届いていて流石の素晴らしさ。和泉さんの在籍した二つのグループ、T-SQUARE+PYRAMIDのような夢のサウンドの1曲目【Portrait of Angel】のエンディングでの和泉さんのピアノ、からの和泉さんが敬愛していたLars Janssonさんのソロピアノへの流れなんて感涙モノです。『ヤンソン先生の演奏と並べるのなんてやめてよ〜』なんて空の向こうで言ってそうですが。。収録された曲いずれもが、和泉さんの『フレンズ』の皆様の思いを感じる演奏ばかりです。
僕の演奏はヤンソン先生の次の3曲目(汗)。ライブのMCなどでは話していましたが、今回新録音したこの曲【Northern Island Breeze】は和泉さんと僕との約束の1曲だったことを、アルバムリリースに際して書き記しておこうと思います。
ここ数年、和泉さんがメインアーティストとして出演する中学・高校の芸術鑑賞会に度々参加させていただいていました。プログラム的には、和泉さんのソロピアノに始まり、須藤満さん(eb)がいらっしゃる時はお二人で『Hiromitsu』の演奏、そしてドラムの石川雅春さんが加わって【Northern Island Breeze】(和泉さん曰く『北の島のそよ風』)という流れで、その次の曲から僕が加わってQuartet編成になるわけですが、そんなわけで僕はいつも舞台袖でこの曲を聴きながら「これ、テナーサックスで吹いたらカッコ良いだろうなあ。。」と妄想を膨らませていたわけです。
そして、僕がリーダーのLIVEに和泉さんをスペシャルゲストとしてお迎えした時に「ノーザンアイランドブリーズ、テナーで吹かせてもらってもいいですか?」のお願いを快諾してくれて、それ以来、和泉さんをお迎えするLIVEではQuartetでもDUOでも毎回演奏させてもらっていました。そして件の自分のCD録音の際に、僕としては恐れ多くてお伺いをたてることも躊躇っていましたが、和泉さんの方から『僕の曲もCDに入れてよ〜』と笑いながらおっしゃってくれたので、すかさず「え!いいんですか?」と話が進んだわけですが、その流れならば当然といえば当然の如く、和泉さんは【Northern Island Breeze】テナーバージョンを録るのだろう、と思われたご様子で。このとき僕は、アルトサックス奏者として長年やってきた自分の久々のリーダー作ということで、アルトとソプラノだけで完結したい、という気持ちがあったのと、【Northern Island Breeze】は大好きだけれど、リリースLIVEやツアーで持ってゆく楽器が1つ増えるなあ...というLIVE現場での身体的事情を鑑みたりして、ちょっと悩んだのでした。(電車でテナーとアルトとソプラノとスーツケースを抱えての移動はなかなかヘビーだったりもします。。)
この作品のレコーディングの休憩時間に、和泉さん『早く次のアルバムも作ろうよ〜』僕「え!まだこのアルバム全曲録り終えてないですよ(笑)」なんてやりとりもありまして、そんなことから【Northern Island Breeze】は次作に収録しましょうと約束をして、そのレコーディングでは和泉さんが候補として挙げてくれた別の曲【After The Ship Has Gone】と【Love Ballad】を収録しました。
そして和泉さんの旅立ちから1年。トリビュートアルバムへの参加のお話をいただいて、はじめはレクイエム的なオリジナル曲を書いて捧げようかとも思ったのですが、プロデューサー鳥山雄司さんの「しんみりした作品じゃない方がいいかな」というディレクションを聞いて、あ、それならば、と約束だった【Northern Island Breeze】の新録音を提案させていただいたわけです。僕のCDで和泉さんと共にレコーディングし、和泉さんが旅立つ数時間前まで御茶ノ水『NARU』でのレコ発LIVEで一緒に演奏していた西嶋 徹さん(b)と河村 亮(ds)くん、そして昨年5月に無観客配信した和泉さんトリビュートLIVEでも素晴らしい演奏をしてくれた長年のミュージシャン仲間、松本圭司くん(p)を迎えての新録音。昨年和泉さんとレコーディングした日からちょうど一年と二日後でした。作曲者である和泉さんも含めた5人の人生や思いが重なった良いテイクが録れたと思います。
(昨年三月に和泉さんのピアノトリオ“The Water Colors”と共演した【Northern Island Breeze】はこちらの1曲目に→【YouTube】)
和泉さんのお姿と溢れ出るダジャレトークはいま何処に、と、そんな感じの1年4ヶ月が経とうとしていますが、先日初めて招聘されて伺った八丈島ジャズフェスティバルでは、9年前に新設されたホールの柿落としに出演した和泉さんのスピリットを島の皆さんの演奏から感じたり(『北の島』ならぬ『南の島のそよ風』を感じながら、なんて和泉さんなら言うのかも)、4〜5月に開催された『和泉さんを偲ぶ会』では多くのファンの方の思いを受けながら、和泉さんとは一緒に演奏してなかった曲をそのピアノ録音とDUOしたり、今も途切れることなくずっと新たな共演が続いているような感覚です。【Northern Island Breeze】が世に出たことで、約束の一つを果たせたのですが、実はまだ他に『この曲を剣ちゃんのサックスで録音したいんだよね〜』と和泉さんに言われていた曲があと3曲ほどありまして。。
その約束も、少しづつ実現させてゆきますよ、和泉さん。まだまだお付き合いくださいね。
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22.2.1.(続)ハードウェア・ラブ
http://kenota.exblog.jp/29826955/
2022-02-01T11:01:00+09:00
2022-02-01T11:43:38+09:00
2022-02-01T11:01:24+09:00
ken_ota
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座ることは出来るけれど、背もたれは「なんだかなあ」と首を傾げる人のような角度(写真左)のまま、垂直固定出来ない状態。
これはもうちょっと無理かなあと、練習や譜面・書類作成などの諸作業もあるので、後継機種のモノを購入しました(写真右)。
椅子選びのこだわりポイントは
●高さ調節可能
●リクライニング機能付き
●肘掛け無し
座ってサックスを吹くのに肘掛けは無用の長物なんですよね。笑
小学生の頃の学習机の椅子を除けば、14歳(中2)の時に親に買ってもらった『初代』自分椅子に座り続けること26年。
受験勉強も、10年間毎日書いていた日記も、33kgくらいだった体重が50kg台になってゆくのも、
全て共に過ごした椅子でしたが、2009年に力尽き、遂にお別れの時が来ました。
その椅子の写真は残念ながらアルバムに見当たらないのですが、
長年の感謝の気持ちを込めて『Hardware Love』という曲を書き、
昨年リリースしたCD『SONGS FROM THE HEART/太田剣 with 和泉宏隆』に収録。
【CDはココをクリック】
近年は須田晶子さん&成田祐一クンとのLIVE【TAN-BO】
(お二人のDUOユニット“Botan”を文字って。須田/成田/太田で『田んぼ』笑)で
須田さんがこの曲を癒しの美声で歌ってくれるのを横で聴くたびに、初代の椅子との思い出が脳裏に蘇ったりしていて。
自分でメロディ吹いてる時にはそんな余裕は無いのですけれど。。
先週壊れてしまった『2代目』椅子が来た日のことはblog【NOTES】に記してました。
【2009.04.03『ハードウェア・ラブ』】
先週土曜のLIVEのアンコールは、2代目椅子との2009年から2022年までの13年間を想いながら
『Hardware Love』を吹きました。後でiPhone録音を聴いたこの曲のアルトの音は、その日一番優しい感じだったような。
今週はこの椅子ともお別れで、また少し寂しくなります。長い間ありがとう、と笑顔で見送れるかな。
(初代)26年→(2代目)13年…と、その付き合いの長さは半分くらいだったんだなあと。
昔のモノは強かったのか、単に体重が軽かったからなのか?『3代目』とはどのくらい付き合えるだろう。
初代を超える30年〜40年選手になってくれたらいいなあ、という希望と期待を込めて、これからどうぞよろしくね。
【追記】
初代椅子と同じ時に部屋に来たスピーカーは37年の付き合いで、
右スピーカー上、CD前にあるのはCD収録曲『Travelin‘ Clock』の時計。かれこれ25年くらい一緒に時を刻み続けてます。
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21.5.2 和泉宏隆さんへの手紙
http://kenota.exblog.jp/29507984/
2021-05-02T19:39:00+09:00
2023-08-04T17:55:33+09:00
2021-05-02T19:39:25+09:00
ken_ota
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デビューアルバム『SWINGROOVE』から15年、
2021年春、自身2枚目のリーダー作『SONGS FROM THE HEART』をリリースしました。
このCDを作りたいと思ったきっかけは3年前。2018年に、
ピアニスト和泉宏隆さんと20年ぶりに再会したことでした。
『風景』を超えて『ストーリー』の見える和泉さんのピアニズムには、
音楽云々以前に、生きて人と繋がる人生の機微がそこここに溢れていて、
自分の過ごしてきた日々で感じ、芽生えた感情や体験を音にしたいと思っていた僕には、
和泉さんのピアノはこの上なく尊く、欠かすことのできないワンアンドオンリーのものでした。
ミュージシャンとして自分が生きた証の一つとして、どうしても和泉さんとの作品を残したいという
強い思いが自分の背中を押しまくり、ついにCDが完成!
5月の全国店頭発売に先がけ、4月25日CD先行発売ライブ開催の運びとなったのですが、
その夜が和泉さんとの最後の共演となったこと、翌日、月曜日の午後に知りました。
今月も来月も、その先も和泉さんとの演奏の予定は決まっていましたし、
今年も来年もその先もずっと、一緒に演奏したり作品を作ってゆけたらと、
共に歩む音楽人生の未来に夢を膨らませていた矢先、一人遠くへ旅立たれた和泉さん。
その数時間前は御茶ノ水で一緒に演奏して笑っていたのに。。
知らせを受けても、何が何だか、、ずっと悪い夢を見ているようで、
この夢が醒めるのをずっと待ち続けていたから
『安らかに。』なんて、自ら書くさよならの手紙みたいな言葉は全然出てこなくて。
それでも時はステディに同じリズムで進んで行き、
今日5月2日、和泉さんへ、しばしの別れのご挨拶をする日がやってきました。
横たわるお姿を拝見してみると、お洒落なペイズリーのシャツを着ているせいか、
本番前の楽屋でちょっとうたた寝をしているいつもの和泉さんの寝顔のようにしか見えなくて
声には出しませんでしたが、心の中で
『和泉さん、もう本番ですよ、そろそろ起きてください、そろそろ、、、』
と何度も呟いたのですが、ずっと眠りっぱなしで。
そこで初めて実感しました。和泉さんとの日々の続きは、ちょっと先のことになるんだなと。
眠ったままの和泉さんに、僭越ながら弔辞を読ませていただきました。
僕の後には鳥山さん、安藤さんが長年の友に胸打つ語りかけの言葉を。
3人分の弔辞は和泉さんが持って行ってしまったので、
僕の分だけこちらに残しておきます。
共演の日々を通して教えていただいたこと、
ずっと気にかけ優しくしていただいた愛情、
一緒に過ごした日々の思い出、
それらすべてを胸に、和泉さんが最後に残してくれたこの音楽を
多くの人に届けてゆきたいと思います。
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弔 辞
和泉さんの人生において 僕よりも遥かに長く濃く 音楽を共にしてきた方々が大勢いらっしゃるなか
和泉さんのラストレコーディングとなった作品のリーダーとして
また和泉さん最後の三日間を共に過ごした者として
僭越ながら今日ここに 弔辞を読ませていただきます
初めてお会いしたのは一九九八年 代々木のジャズクラブ『ナル』でのライブでしたが
二度目の共演は二〇一八年 実に二十年ぶりの再会でした
和泉さんより直々にオファーいただいての演奏は子供の頃から『ザ・スクエア』のファンだった自分には
とても恐れ多いことでしたが 好きな音楽の話で盛り上がってしまったせいか
ひと回り違いの同じ戌年生まれのせいか あっという間に意気投合してしまい
僕のバンドのライブにも参加していただくようになりました
そうこうするうち 和泉さんとの作品を残したいという大それた夢を抱くようになった僕は
重い腰と重いフットワークを返上し この二月にレコーディングをお願いし
四月にはCD完成 その録音中から和泉さんは『早く次のアルバム作ろうよ』と言ってくれて
夢は膨らむ一方でした
先週金曜日 四月二十三日の夜『ライブの音合わせしたいからウチに来てよ おなかを空かせて』と
お誘いを受けご自宅に伺うと 厨房に立つ『シェフ和泉』さんが前夜から仕込んだステーキ肉や
わざわざ仕入れたというタラバ蟹などを使った料理の数々をテーブルに並べて
『剣ちゃんのCD完成祝いだ』と食べきれないほどのご馳走を振る舞ってくれました
和泉さんのピアノの音色の様に優しく身体に沁み渡る味付け最高でした
音合わせは ありませんでした
食後一緒に水戸に前ノリし 翌日四月二十四日の土曜日はジャズクラブ『ガールトーク』に二人で出演
その翌日 四月二十五日の日曜日は 正午から水戸芸術館でのパイプオルガンと
僕のサックスによるクラシックコンサートを『これが聴きたかったんだよ』と
和泉さんは客席で鑑賞してくれました それが何よりのハイプレッシャーでしたけれど
その後一緒に帰京して夕方から御茶ノ水のジャズクラブ『ナル』でCDの発売ライブでした
リハ中は少し眠たそうにしていた和泉さんも 本番ではいつもどおりの
『真面目な演奏と面白いお喋り』で店内を沸かしてくれました
和泉さんとの初めてのCDリリースライブは最高のひとときでしたが
その夜 床についた和泉さんが天に召されたこと 一夜明けた月曜午後に知らせを受けました
密に過ごさせてもらって充実の三年間でしたが
この続きはまた今度 空の向こうで なんですね
代々木の『ナル』で始まった共演は 御茶ノ水の『ナル』で一旦おしまいなんだと
『若い頃 ジャズピアニストになりたくってさあ』が口癖だった和泉さん
僕のCDレコーディングで『こんなにジャズ寄りの作品に参加したのは初めてだよ』とのことでしたが
少しはお役に立てたでしょうか? 僕は和泉さんを最高のジャズピアニストだと思っていましたし
先日 電話で『剣ちゃんは僕の救世主だからさあ』と冗談のように言ってくれましたが
和泉さんこそ僕の救世主でした 最後の演奏となったアンコールの『宝島』 楽しかったです
今頃はきっと雲の上の宝島でのんびりですね?なんて言ったら
笑いの達人の和泉さんに『ベタだなあ そんなんじゃ笑わないよ』と軽くいなされそうですが
人生初の弔辞を こんなにも早く それも和泉さんに読むとは夢にも思ってなかったのでお許しください
次に会うときまで『真面目な演奏と面白いお喋り』に磨きをかけておきます
和泉さん 本当にお世話になりました ありがとうございました
あなたの隣でサックスを吹けて幸せでした
合掌
令和三年五月二日
太田 剣
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20.1.3 年の初めのCD全曲解説
http://kenota.exblog.jp/28785203/
2020-01-04T21:15:00+09:00
2020-01-06T17:19:48+09:00
2020-01-04T21:15:46+09:00
ken_ota
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『21世紀の〜夜明けは近い〜♪』と夏の盆踊りで聴いていた子供の頃には
想像も出来なかった『未来』である21世紀をもう五分の一も生きたことに気づき、
刻一刻と過ぎ行く時間の容赦無さに軽く眩暈すら覚える2020年のお正月。
昨年末に『Organic Bop!!』というCDをリリースいたしまして、
制作・録音・リリース・販売にお力添えいただいた皆々様、
そしてお買い求めいただいた皆様に厚く御礼の意味も込めまして、
更新の久々すぎるblogですが、
CDブックレットには記されていないこのユニットのこと、
収録曲のことなどを書き記してみようかと思います。
●ユニット『Organic Bop!!』の歴史(アーティスト名は敬称略で失礼します)
『SOULIVE』とかJoshua Redman(ts)『Elastic』バンドなどJam Band〜オルガンジャズの
ムーブメントが盛り上がっていた21世紀初頭、金子雄太(org)『AQUAPIT』や
小沼ようすけ(g)『nu Jazz』バンドのLIVEで活動しながら、
僕自身もオルガンを中心とした『Organic!!』というLIVEを、
僕・金子雄太・大槻カルタ英宣で細々と演っておりました。
そのユニットのLIVE活動をお休みして数年。
僕(as)川崎太一朗(tp)河合代介(org)大槻カルタ英宣(ds)という、
ラリー・ヤング(org)の名盤『UNITY』編成の『2Horns Bop!!』というユニットで
LIVEやツアーをし続けているなかで、1ホーンの選曲があったり、
ツアーの予算の都合もあったり(泣)で『2Horn』とはならないLIVEもありまして、、
前述の『Organic!!』と『2Horns Bop!!』をミックスした『Organic Bop!!』となりました。
太田剣・河合代介・大槻カルタ英宣で。
「オルガンでハードバップ」「オーガニック(自然有機的)なジャズ」という
Wミーニングなユニット名ですと説明しておりますが、後付けではありませんよ、決して。
〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜
●CD『Organic Bop!!』全曲解説!
ハモンドオルガンという楽器は、左手もしくは足でベースを弾き、
両手でハーモニーとメロディ(ソロも)を奏でるということで
通常2人ないしは3人で担っているパートを一人で演る、という重責があるため
オルガニストがナチュラルに身体に馴染んだ曲を演奏するのが
Sounds Good!な音楽へと繋がることもありまして、
選曲は河合代介さんのレパートリー&太田剣チョイス曲で構成されております。
1.【 Mellow Mood(Jimmy Smith)】
言わずと知れたジャズオルガンの神様、ジミー・スミスの曲。
1968年作品『Further Adventures of Jimmy and Wes』というジミー・スミスと
ウェス・モンゴメリー(g)の共演盤での演奏が有名ですが僕等はテンポ速めの
ファンクバージョンで録音してみました。
2.【 Mimosa(Geoge Benson)】
ジミー・スミスの『Off The Top』(1982年)が世界初録音かと思いますが、
そこに参加したジョージ・ベンソン(g)が提供した彼のオリジナル曲。
ジョージ・ベンソン(g)自身の作品ではアール・クルー(g)との共演盤、
『Collaboration』(1987年)に収録。ジミー・スミス盤では演奏されていなかった
ドラマティックなイントロ兼アウトロのメロディを吹くのが好き。
3.【 Dania(Jaco Pastorious)】
作曲者ジャコ・パストリアス自身の公式録音はおそらく
1985年の『Brain Melvin's Nightfood』だけ?1983年の日本ツアーでも演奏されてしてました。
結構な高速テンポで演っちゃったので、たしか1テイクだけしか録音してないかと。
別テイクありません。。
4.【 Lost Highway(太田剣)】
小林陽一(ds)Good FellasでツアーやLIVEを共にしていた
5歳年下のベーシスト高道晴久クンが空の向こうへ旅立って7年。
参列した彼の葬儀の日に見た高い高い青空と、
その頃の連休中に大渋滞の高速道路を降りてLIVEに向かう道すがら、
初めて見た素晴らしい景色の二つが心の中で入り混じって出てきたメロディ。
bass(clarinet)で奏でたよ、高道クン。
「高速道路を見失った」「高道クンが居なくなった」という2つの意味が曲名に。
5.【 New Season,New Scene(太田剣)】
初期『Organic!!』の頃に作った曲で、
冬が終わって春が来ると
新たな出会いもいろいろあるけれど
昨日まで毎日のように会っていた人に全然会わない日々が始まったりもして
高揚感とセンチメンタルが同居する感じを曲にしてみたような。だったような。
6.【 Asteroid(Charles Earland)】
チャールス・アーランド(org)の1974年作品『Leaving This Planet』に収録されている
ファンキーなSwingナンバー。曲のことを『ナンバー』って言うの、さすがに令和ではNG?
聞くだけで気分がアガってしまうバンプを延々と繰り返すエンディングでのドラムソロは
途中でフェードアウトさせる予定で録音してたのですが、
内容が素晴らしかったので最後まで採用、ということで長いんです。
7.【 Youkali(Kurt Weill)】
1934年に大作曲家クルト・ワイルがミュージカルのために作曲した曲で、
ジャズよりもシャンソンやオペラ歌手に歌われることが多い名曲。2曲目の『ミモザ』と、
この『ユーカリ』。植物の名の付く2曲を収録した点が『オーガニック』バップ!! の
Wミーニングを後付けではないという証拠です。
でもこの曲の『ユーカリ』は樹木のことではなくて想像上の『島』のことらしい。。
8.【 Mr.Fonebone(Bob Mintzer)】
ボブ・ミンツァー(ts)がイントロを吹き始めたものの、バンドリーダーの
ジャコ・パストリアスが一向にステージ袖から出て来なくてランディー・ブレッカー(tp)らと
「おい、この状況どーする?」みたいに顔を見合わせてる6分半くらいが面白い
ライブの映像などでもお馴染みの楽しい曲。
こういう人間くさいやりとりの体裁を整えずに見せる/聴かせるのもジャズの魅力の一つかと。。
9.【 Grandmother's Waltz(太田剣)】
子供の頃、夕食後に家族でコタツでみかんでテレビとかを見てる時に
おばあちゃんはいつも正座で身体をゆっくりゆらゆらさせながら隣にいてくれたなあ、と。
数年前に他界したおばあちゃんを想っていて出来た曲です。
ビル・エバンス(p)とスタン・ゲッツ(ts)の演奏で有名な『Grandfather's Waltz』は
おじいちゃんの方だったので、おばあちゃん子だった僕はおばあちゃんの歌を。
ジミー・スミスが2曲、
ジャコも2曲、
樹木の曲が2曲、
忘れられない人を偲ぶ歌が2曲、
Wミーニング(ユニット名&曲名)も2つ、、、と、
こうしてみるとなかなか、双子座の自分らしい内容だなあと、思いました。
さすがにこれは後付けです。。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
2020年 新春 太田 剣
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18.1.2 巡り巡る縁の不思議
http://kenota.exblog.jp/26409171/
2018-01-03T03:55:00+09:00
2018-01-03T04:13:24+09:00
2018-01-03T03:55:02+09:00
ken_ota
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昨年も多くの皆様に大変お世話になり
つつがなく新年を迎えることができました。
どうもありがとうございます。本年も何卒、よろしくお願いいたします。
LIVEやその他、自分の音楽活動についてお知らせすることが多いもので、
それらはTwitter、FacebookなどのSNSで投稿、
それ以外のトピックやお話をこちら「NOTES」に記そうと目的別にしてみたところ、
連日、LIVEの告知や感想の投稿が先立ってしまい、
あっ、と気がついた時には、こちら「NOTES」丸2年更新してなくて
書こうと思いたった時はうっかりログインネームを忘れている始末。。
記憶を辿って何とかログインできました。ああ良かった。
明日は地元、愛知の名古屋で新年初LIVE、という日の前夜ですが
ふと振り返ってみると、昨年は何だか不思議な年だったなあと
偶然にしては出来すぎていた、縁の巡り合わせを記しておきたくなりました。
早稲田大学第一文学部に入学した18歳の僕は
福永武彦など、日本の近現代文学を専攻するつもりで中国語を第二外国語に選択。
しかしロシア文学の魅力に魅かれてしまい「ロシア文学専修」に進むため
第三外国語としてロシア語を別途受講するという、若さからくる勢い任せの
エネルギッシュな学生だったわけですが、ロシア語の難しさが身にこたえたのか、
卒業後は酒瓶ラベルのロシア語を読む時くらいしかロシア語と接してませんでした。
一昨年、じゃなくてもう二昨年か。2015年の新春に、京都の仁和寺の境内で
真冬の寒空の下、早朝に女優の栗山千明さんを前にサックスを吹くことになりまして。
日テレ「心の都へスペシャル」という番組のロケだったのですが
出演回のテーマが「桜」ということで桜の名所で吹く「桜」モチーフの曲を
作って欲しいと言われ「桜の記憶」という曲を書いたのですが、
作曲の際にピアノの前に座って頭に浮かんだのは
大学の頃、春先に公園のベンチに座っていた自分をまるで何か祝福するかのように
風に吹かれて空から舞い降りてきた桜の花びらの風景でした。
そして昨年、自分のバンドで海外公演の依頼を受けたのですが、その行き先はロシア。
これまでにも、クリヤマコトさん率いる日豪混合バンドでオーストラリア、
小沼ようすけバンドでジャカルタ、大槻カルタ英宣バンドでアメリカのデトロイトなど
海外公演は色々ありましたが、自分名義で最初の海外進出がロシアというのは
なかなかの奇縁だなと。北海道の北に位置するサハリンでのジャズフェスティバル、
開催会場は「サハリン島」という作品でこの地を紹介したロシアの文豪、チェーホフに因んだ
「チェーホフ劇場」でした。チェーホフといえば「桜の園」。その戯曲作品を思い出した時、
チェーホフ劇場で自作曲「桜の記憶」を演奏するのは最早、僕にとっては必然でしかなく、
当夜のステージ上での自分のMCは全て、25年ぶりに話すロシア語で通しました。
翌朝、ロシアのインターネットNEWSでとりあげられたフェスの記事には
「彼らは『SAKURA MEMORY』を演奏した」と書かれていて
ロシア語MCが通じていて良かったなあと。
→ロシア「SAKHALIN INFO」
ロシア文学を学んでなかったら、ロシア語でMCはしなかっただろうし
チェーホフも「桜の園」も知らなかった。
ジャズを演ってなかったら、TV番組にも出なかったろうし
「桜の記憶」という曲を作ってもいなかった。
桜の木の下のベンチに座ってなかったら
桜の記憶も自分の中にはなかっただろう。
25年の時を経て、生きてきた道のりで培った色々なものが
巡り巡って繋がった、そんな不思議な2017年でした。
さて2018年。今年も色々頑張ります。
また近々、きっとこちらにもログインしますので、
その際はまたご一読どうぞよろしく、よろしくお願いいたします。
2018 新春 太田 剣
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15.11.9 二つ目のバトン
http://kenota.exblog.jp/23853548/
2015-11-09T15:34:00+09:00
2015-11-13T01:20:56+09:00
2015-11-09T15:33:56+09:00
ken_ota
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4月に開校した新校、伊良湖岬小学校の校歌作成の依頼だった。
校歌、といういささか畑違いの音楽への挑戦に、
自分が出来るのだろうか?と躊躇すること数秒。
しかし、10秒も経たないうちに「お引き受けします」と電話で即答していたのは
純粋にやってみたいという気持ち半分、
自分の生まれ育った故郷で過ごす子供たちに
音楽でこの土地の素晴らしさを伝えたいという思い半分。
一昨年の秋より拝任した「田原市ふるさと大使」唯一の音楽家としても
これを完遂したら少しは地元のお役に立てるかもしれないと、そんな気持ちだった。
開校から一ヶ月後の5月。
教育委員会の方々と共に伊良湖岬小学校を訪問して
学校を案内してもらったり、教室での子供たちの姿を見させてもらったり。
そんななか、先生がたに学校や校歌の沿革を伺っていて、一つ驚いたことがあった。
伊良湖岬小学校は
旧・伊良湖小学校、旧・和地小学校、旧・堀切小学校という3校が
統合されて出来た新設校ということで、
参考までにそれら3校の校歌を見させていただいたのだけれど
そのうちの1校、旧・伊良湖小学校の校歌の作曲者は
ジャズ・クラリネット奏者、藤家虹二さんだった。
小学生の頃、ブラスバンドでトランペットを吹いていた僕は
中学校に上がったらアコースティックギターをやろうかなと漠然と思っていたのだけれど
6年生、12歳の時に父に連れられ伊良湖ビューホテルで聞いた初めてのジャズ、
藤家虹二さんの演奏は衝撃的で、
正直、最初から最後まで何が起こっているのか全く理解していなかったけれど、
あっという間にその音楽の魅力にひきこまれた僕は
帰りの車中もジャズとクラリネットのことで頭が一杯で
それ以来、ギターのこと忘れてしまったような。
中学生になった時には、当たり前のように
父がバンドマンの方から譲り受けたテナーサックスを手にしていた。
2007年8月、日比谷公会堂での第39回サマージャズというフェスティバルに出演した際に
藤家虹二さんもご自身のバンドで出演されていて
楽屋でお話しすることができた。
初対面の僕に、あなたの演奏がきっかけでジャズを始めましたと積年の思いを熱く語られても、
自分の演奏を聴いていた聴衆のなかに居た子供の一人ゆえ
藤家さんにとってはニコニコ笑って聞くしかなかったろうと
今では少し恥ずかしいけれど、ずっと胸にあった感謝の思いを伝えずには居られなかった。
それから3年後の2010年秋、
小学生の時に藤家さんを見た伊良湖ビューホテルの同じ場所に、今度は自分が立っていた。
客席からステージへ上がるまで28年。感慨深いという一言では言い尽くせぬ気持ち。
その1年後、残念ながら藤家さんはお亡くなりになった。
バトンを渡したつもりなど毛頭ないかもしれないけれど、
この地に生まれた僕としては、受け継いでゆかねばならないことのような気がした。
それから5年、今度は校歌。これも藤家さんの遺業。
クラリネット演奏のみならず「ひらけ!ポンキッキ」「未来少年コナン」などの
音楽監督も務めた藤家さんの数ある音楽活動の中のたったひとつとの巡り合わせ、
それは偶然かもしれないけれど、きちんと役目を果たさねばと
身の引き締まる思いで臨んだ。
広島出身の藤家さんは作曲のみだったけれど
僕は生まれ育った土地の風景、生活を良く知っているだろうということで
作詞も依頼されたことは、とても嬉しかった。
学生時代に文学部で取り組んでいた言葉の美学と
それ以来ずっと追い求めていた音楽、その二つを一つの歌に融合させる試み。
特別な思いと、新鮮な感覚に満ちた、清々しい挑戦でした。
先日、11月の文化の日の前日に、出来た校歌のお披露目の会に
伊良湖岬小学校を再訪したときに
校長先生がこんなことを教えてくれた。
「ウチの学校の生徒に、親に連れられて
伊良湖ビューホテルで太田さんの演奏を聴いたって子が居ましたよ。」
次に校歌を作るのはその子かな。
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15.10.29 浜田博行さんの音は
http://kenota.exblog.jp/23817957/
2015-10-29T02:43:00+09:00
2015-11-09T14:26:17+09:00
2015-10-29T02:41:30+09:00
ken_ota
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ジャズ・トランペッターでもある浜田博行さんが今月25日に亡くなった。
享年51歳。パセドウ病からの心不全だったらしい。
先月末に同県野洲市で開催されたオクトーバーフェストでのステージの
トリを飾った浜田さんのバンドにゲストとして呼んでいただき
楽しいひと時を過ごしたばかりで、
年末の再会の話なんかもしてたくらいだから
この訃報は120%予期していなかった、というか
未だに信じられないし、
ほんの数%でもこの情報がひっくりかえる可能性があるならば
嘘であってほしいと願っている自分が居る。
でも、そうはいかないのが世の常。我が身の無力感に苛まれるも、どうしようもない。
知り合ったのはもう10年も前になるかな。
小林陽一&Good Fellasのメンバーとして浜田さんのお店「ねこ」に出演した。
僕の演奏を気に入ってもらえたようで、
それ以来、ホールコンサートや、大阪「ロイヤルホース」でのライブ、
琵琶湖ジャズフェスティバルなど、自分のバンドが出演する幾多のステージに呼んでくれて
隣で吹かせていただいた。
歌も歌う浜田さんお気に入りのジャズシンガー牧野竜太郎くんと吉岡秀晃さんとのトリオツアーで
4年前のちょうど今頃「ねこ」を再訪、出演させていただいたのも良い思い出。
いつ会っても、気さくで優しくて頼もしくて、でも少しシャイな、人生の先輩だった。
滋賀県文化奨励賞も受賞されて文字通り「滋賀ジャズの顔役」として
八面六臂の活躍をされていた浜田さん。
来年は東京でも一緒にライブをやりましょうと
意気投合した、先月の演奏の打ち上げはホントに楽しかった。
音楽にも、人にも、動物にも、深い愛情を注ぎ暖かく包み込む
その人柄と穢れなき心は、そのまま彼の演奏にも表れていた。
浜田さんの吹くトランペットのベルからまっすぐに伸びて広がるその音は
僕がこの人生で出会った最も美しいものの一つです。
本当に色々ありがとうございました。
お世話になった数多くのご恩を返すことも出来ないうちに
旅立たれたことが残念でなりませんが
今はただ、その魂が安らかに眠らんことを願います。
またいつか、この空高き何処かで会えたら
並んで一緒に演奏させていただくのを楽しみに
頑張って精進しておきます。その時はお手柔らかにお願いします。
2015.10.29. 太田 剣
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15.3.26 Piano Man
http://kenota.exblog.jp/22906414/
2015-03-26T02:28:00+09:00
2015-03-26T09:40:53+09:00
2015-03-26T02:28:06+09:00
ken_ota
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今号はvol.70。 記念すべき創刊70号は特別版の装いで
国内サックス史を振り返る記事が載ってたり
これまで紙面に登場したサックス奏者たちのワンポイントアドバイス総集編とか
とても豪華な内容。特別付録のCDまでついてる。
この付録CD、世界的に有名な名曲を数人のサックス奏者が吹いていて
今回、その一人として演奏させてもらったので
見ると、表紙の片隅に自分の名前も載ってる。おお。
編集部からこの依頼をいただいた時に曲目の指定があった。
「“New York State of Mind”をピアノとDUOでお願いします。」
僕のLIVEに足を運んでいただいてる方はお気づきかもしれないが
近年、ポップスのカバーを自ら演奏することはほとんど無く
年々、コアなジャズ度が高まっているような気がしている僕が
ビリー・ジョエルのあの名曲を一体どう料理すればよいのか。。。
と考えた時に、はたと気づいた。
ビリー・ジョエル。
6歳で始めたピアノではバッハやモーツァルトの曲を弾き
10歳で始めたトランペットではマーチングバンドの曲を吹き
13歳で始めたテナーサックスでは吹奏楽の曲を吹き
16歳で始めたアルトサックスではクラシックのコンチェルトなどを吹いていた僕が
高校生の頃に初めてバンドで演奏した曲がビリー・ジョエルの“Piano Man”だった。
クラスメートに、文化祭でバンドのLIVEやるからサックス吹いてよ、と言われて演奏したのが
バンドでポップスを吹いた最初の経験だったな、そういえば。
クラシックにのめりこんでいた10代の自分が演奏したビリー・ジョエル。
ジャズにのめりこんでいる40代の自分が演奏するビリー・ジョエルはどんな風になるだろう?と
少し因縁めいたこのオファーに興味が湧いてきて、やってみることに。
ここ数年、素晴らしいピアニストの方々とDUOでライブをさせていただいているが
この選曲とちょっとひらめいたアレンジに思いめぐらせたとき
自然と、それを弾くピアニストの顔も浮かんできた。
熊谷ヤスマサ。 そうだ、熊ちゃんがいい。
もう4、5年以上一緒にやっているだろうか?
最近は都内某所で月に1、2回、
二人でジャズスタンダードばかり掘り下げるDUO、
通称「スタンダード研究会」、略して「スタ研」を継続しているので
その研鑽の記録を1曲でも残したいという気持ちもあるし。
で、録音してみたわけです。
よく知られたこの曲のAメロのハーモニーに現代的なジャズの要素を取り入れてみたのだけれど
出来上がったものを後から客観的に聞いてみると
スタンダード曲「時には母のない子のように」のような雰囲気。
ヘレン・メリル(vo)とスティーブ・レイシー(ss)が一緒にやっている
大好きなバージョンの「匂い」が知らず知らずのうちに出てしまったのかもしれないな。
しかし、熊ちゃんのピアノは素晴らしい。
全く揺らぐことなく安心して身を委ねられるタイム感。
分厚く重みのある沈んだ音色。これが実はエレピの演奏だと誰が気づくだろう?
ブルースとゴスペルの要素が詰まったアーシーでソウルフルなプレイ。
録音を聴いてあらためて思う。彼は真にリスペクトに値する素晴らしい「Piano Man」だ。
2冊届いたうちの1冊を、今度会うとき熊ちゃんに渡そう。
長年一緒に演ってきた熊ちゃんとの初録音。
ものは付録でも、僕の人生にとっては付録じゃない、大切な思い出の1曲。
譜面もついてます。サックスをやる方も、そうでない方もよかったら聴いてみてくださいませ。
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15.2.27 色褪せない記憶
http://kenota.exblog.jp/22839644/
2015-02-27T17:55:00+09:00
2015-02-27T20:11:39+09:00
2015-02-27T17:50:28+09:00
ken_ota
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月日の経つのはこんなにも早いものかと思いつつ
また久々にBLOGを書いております。
この2月は6年ぶりに盟友、小沼ようすけ君と二人でツアーしました。
そんなに経ったかな?と思うほど6年前のことは記憶に新しいのだけれど
いざ一緒に音を出してみると「おや?」と感じることも多く
それはひとえにお互いが自分の音楽の道を前に向かって進んだ証と納得出来る
良い意味での違和感でした。
ちなみに6年前はこちら。
僕が小沼ようすけに感じる最大の魅力の一つは
自分の個人主義を多くの人と共有できること。
その感覚、アイデア、サウンド、全てが彼自身の極めて個人的なものでありながら
彼はいつもそれと
そこにいる人、その場所、そこにある空気、そこにある意味を
調和させることに全力を注いでいる。
「ひとりで見る夢はただの夢
みんなで見る夢は現実になる」
と言ったのはジョン・レノン。
人、動物、自然、自分と真摯に向き合って
この言葉を具現化している
そんな彼の素晴らしさをあらためて感じた良いツアーでした。
こんな書き出しだからといって
懐古趣味に陥っているわけでも
私的リバイバルブームが来ているわけでもないですが
10年ぶりにオフィシャルウェブサイトをリニューアルしてみました。
素敵なページを作ってもらって10年。
今、新たにここを訪れてくれる方々に
10年前の自分の写真で「はじめまして」もないだろうと
重い腰をあげてみると
とある奇縁に気づきました。
先週2月22日(日)TV地上波 日テレで放送された
「-心の都へスペシャル- 千年の都 美の旅人」に出演し
女優の栗山千明さんを前に
京都の仁和寺を背に1曲、自作の曲を吹いておりまして
今週3月1日(日)2:00pm〜3:00pm BS日テレでその再放送があるのですが
以前出演したドイツ車「Audi A4」のCM番組が放映されたのが
ちょうど10年前の同じ3月、同じBS日テレだったのです。
なんと奇遇な。否、こうなると偶然ではなく必然のような気もしてくるから不思議。
ちなみに10年前はこちら。
Audi A4を駆って少し大げさにリズムをとりながら(笑)
外苑をぐるぐると何周も走ったり
関内KAMOMEの入り口に乗り付け
振り向きざまに「Let's Groove! 」(←棒読み:苦笑)と言い放って店内に入った
そんな撮影のことも意外と記憶に新しいのだけれど
それから10年目の御縁。
今回「心の都へスペシャル」では「桜の記憶」という書き下ろしの自作曲を演奏しました。
西の都はかつての都。いまも、いつまでも変わらない心の都。
月日とともに万物は流転し
色々なものが新たにお目見えするかわりに
いつまでもあると思っていた多くのものが消えてゆく。
でも自分の心から、記憶から大切なものが消えてゆくことは無くて。
桜を意識したのはいつからか。
学生の頃に公園でベンチに座って本を読んでいた自分に
背後の上の方から
風に吹かれて舞い散ったたくさんの桜の花びらを浴びたとき
特に何をというわけでもなく
自分が何か祝福されているようだと感じたあの時からかもしれない。
それから毎年なにかしらどこかしらで見ていた桜の花の
咲き始めるとき、満開のとき、そして散りゆくときの記憶を
脳裏によみがえらせながら音の調べにしました。
先月撮影で京都に行った日のことも
かつて桜にハッとさせられた日のことも
同じように心にあり続ける色褪せない記憶。
この日曜日は
長い年月の時間を超えて共存する記憶を一つにする音と調べを
TVでご覧いただけたら幸いです。
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14.11.17 ハッピーなビジョン
http://kenota.exblog.jp/22575810/
2014-11-17T11:43:00+09:00
2014-11-17T12:50:54+09:00
2014-11-17T11:43:42+09:00
ken_ota
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昨日はその10周年を祝うスペシャルLIVEでした。
ギター好きで小沼ようすけクンや荻原亮クンと知り合い
その後LIVEで大槻“KALTA”英宣クンや僕も親しくなった佐々木さんが
2004年にオープンした同店は
その年の11月18日に僕が杮落としのLIVEをやらせていただきました。
まだ自分のCDもリリースしてない僕にとって
いちJAZZ CLUBの最初のLIVEなんて身に余る光栄というか
そんな大役を引き受けいいものかと言う感じですが
そこは若気の至りの力を存分に借りまして
果敢にもあれこれ演奏したのを憶えています。
その日も一緒だった盟友、大槻カルタ君は
ここ数年、横濱Jazz Promnadeの後夜祭的な感じでやっている
「3日目(笑)」スペシャルLIVEなど
KAMOMEのアニバーサリーLIVEの仕切りといえばこの人!のような顔役になっていて
毎度ながらそのお祭り男な名仕切りっぷりには感心させられております。
高校時代の「文化祭実行委員長」の肩書きは伊達ではありません。
彼のバンド“Vertical-Engine”に参加させてもらってる時もそうですが
ステージに乗るミュージシャンの数が多いと
9割がた即興で進行してゆくJAZZという音楽の
次の瞬間の行き先を全員に指示するのはなかなかに大変なことで
それが演奏中、常に両手両足をフル稼働させてGrooveを支えているドラマーならばなおのこと。
もう演奏で使ってないのは顔くらいで
声も届かないステージ上で後ろの方から表情一つで指示を出すのはそれはそれは難しい。
というわけで、気心知れた僕が彼に変わってステージ上の皆さんに合図を出したりしてるのですが
それは一見、演奏中のことは僕が決めているように見えるかもしれないとも思うので
誤解の無きよう、一つこの場を借りてご説明させていただこうかと。笑
リハ中、演奏中、選曲中、ゴハン中(?)、大体一緒に行動をしていると
カルタ君のその日その場のビジョンが見えて来て
特別意識して感じていないまでも
彼の「こうしたい」と思う絵図の主旨が伝わってきます。
それはいつも大抵、音楽が良い方向に進むハッピーなビジョン。
作家と脚本家の役割分担というと言い過ぎかもしれませんが
彼が思い描くビジョンを現場で各人にわかりやすく伝えているのが僕、ということで
プロットをたてているのは彼なのです。本当に。
間違いなく良いと思える行き先が見えるから
「こっちに行けばいいみたいですよ」と伝えられる。
演奏しているときも、していないときも
そんなビジョンの素晴らしさをそこここに感じた
幸せな10周年ライブでした。お疲れ様、大槻カルタ英宣お祭り番長。
オーナー佐々木さんの10年続けた弛まぬ努力
その下で力を尽くしてきたスタッフの皆さん
それに呼応していい演奏を繰り広げてきたミュージシャン
夜な夜なそこに足を運んでくれた皆様
関わった全ての人の気持ちが
共にいい空間と時間を演出してきた10年=3650日だったと思います。
その一員で居られて本当に良かった。
おめでとう&ありがとうございます。
これからもKAMOMEと
そこに携わる全ての人に幸あれ。
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14.11.17 美しい人
http://kenota.exblog.jp/22575702/
2014-11-17T10:49:00+09:00
2014-11-17T12:56:32+09:00
2014-11-17T10:49:47+09:00
ken_ota
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こちらを継続して読んでくださっていた方々には
期待に応えることなく
全然更新しなくてホントにすみませんと、まず心からのお詫びを。
TwitterやFacebookの隆盛に伴い
日々の徒然をそちらで発信することにした、というわけではありませんでした。
Facebookの投稿はTwitterに連動させているので
実質書いていたのはTwitterのみ。
その理由は「140字しか書けないから」。
フランツ・カフカの3つの長編小説 『アメリカ』『審判』『城』 がすべて未完なのは
長編だからという理由だけではないでしょうが
語ろうとするストーリーは長くなればなるほど
その全てを一人の人間の美意識の範疇に納めることの難しさはきっと誰しも感じるであろうことで
書いた後についつい推敲もしてみてしまうblogを書くには
それなりの時間とゆとりも欲してしまうもので。
それがある日突然無くなったというわけでもないのですが
昨年初頭に最愛の祖母が他界して以来
長文を書くこの場に向きあえなかったというのが本当のところかもしれません。
幼少の頃からの思い出の風景にはいつも一緒に居た
家族の喪失をこの歳で初めて目の当たりにしたことで
空虚な大きい穴のような場所を心に抱えることになり
その反動もあってか音楽そのもののことに集中するあまり
自分の活動を言葉で伝えるblogから遠ざかってしまったという
応援してくださっている皆様には申し訳のない
自分なりの理由があったのですが
結果的にはサボっていたことと同じで
一言で言えばやっぱり「すみませんでした」です。
冬にさしかかった秋晴れの今朝
ふと思い立って書いてみるのは、この二日間のこと。
一昨日と昨日の気持ちの高揚は140字では伝えられないので
Twitterに書いた短いコメントの内側を書きたくなりました。
それを見てない方々も居ると思いますが
こちらが本文なので大丈夫です。笑
この週末は土日とも関内「KAMOME」に連続出演しました。
土曜日は僕のQuartet+1。
最近、よくご一緒させていただいている
市野元彦さん(guitar)鉄井孝司クン(bass)則武涼クン(drums)の3人に
ゲストで橋爪亮督クン(tenor sax)を迎えました。
同じ1970年生まれの橋爪クンとは楽器店でバッタリ会うばかりで
一緒にステージに立ったのは今回が初めて。
彼のCDを日頃愛聴している僕はある種ファンのようなところもあるのですが
LIVE中に隣から聞こえて来るというか
そこで彼が吹き、生まれて来る音楽はCDを遥かに上回るもので
僕の曲を一緒に演奏しているのに
その美しさにすっかり聞き惚れてしまっていた
そんな時間でした。
楽屋で、彼がずっと一緒に演っている市野さんとの会話を聞いても
それ以外の何をしている時も
その所作は常に品良く落ち着いた佇まい。
その思慮深さはプレイだけではなく立ち振る舞いからも感じられて
音が発する世界観が身体からにじみ出ているのがわかります。
彼は美しい人だな。そう思いました。
言うこと&すること、と
発する音&生み出す音楽は
同じ一つの心から出てくるので
雰囲気が似て来るのは当たり前なのでしょうが
美しい音は美しい心から。
至極当然なこともすぐ近くで実感するとその思いもひとしおです。
おばあちゃんもそうでした。
いろんなことを優しく教えてくれた
とても美しい人。
記憶は美化されると言いますが
僕の記憶の中のおばあちゃんは
もうずっと、何一つ変わらず素敵な人のまま居続けてくれます。
ライブ後に橋爪くんが最新作のライブ盤をくれました。
全て歌えるほど聞いていた3枚のスタジオ盤の先にある
ライブで生まれたものをリアルに記録したこのCD。
その素晴らしさはあと1000文字使っても書き表す自信がないので
写真を貼っておきます。(続く)
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12.12.31 今年もお世話になりました
http://kenota.exblog.jp/19440646/
2012-12-31T08:26:00+09:00
2012-12-31T14:17:42+09:00
2012-12-31T08:25:35+09:00
ken_ota
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こちらも気がつけば、なんと4ヶ月ぶりの更新となってしまいまして
お久しぶりのご挨拶と
本年諸々総じての謝意を共にすることになり
甚だ恐縮ではございますが
今年もたくさんの幸せな時間を共有していただいた皆様
本当にありがとうございました。
この1年、昨日まで出演したライブは208本と
煩悩の数を100上回るくらいの感じでしたが
そのいずれにも多々得る所あり
結果、音もセンスも最も自分らしいと思える姿にシェイプして
そこに揺るがない確信も持てるようになったのは
今年の大きな成果だと思っています。
長く一緒に演奏して来た仲間との信頼関係が創り上げる
絶対的安心感の上での冒険も
新たに共演したミュージシャンから得る
斬新な刺激が見せてくれる未踏の景色も
それらを享受できる場所に居るという幸運に始まり
起こる何かに驚き歓喜する瞬間瞬間は
筆舌に尽くし難き至福の体験で
そんな毎日を過ごしている有り難みは
ひとえに自分は人の縁に恵まれてるのだと思うことしきり。
また来年も
もっともっと多くのシアワセな時間を
皆さんと共有出来ることを切に願って
2012年ラストライブ@御茶の水Naruに向かいます。
年が明けたら名古屋に向かい
正月三が日の1/2・3は名古屋StarEyesでライブ始め。
その直後に横浜&名古屋での“SFKUaNK!!”結成10周年ライブなど
1月からまた盛りだくさんの濃い日々が続きそうで
来年のスタートダッシュに今からわくわくしています。
皆様もどうぞよい年越しを
そして新たな年を無事に迎えられますよう
お祈り申し上げます。
よいお年を & Happy New Year!!
2012年12月31日 太田 剣
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12.08.29 次なる音楽の序章は
http://kenota.exblog.jp/18743328/
2012-08-29T12:48:00+09:00
2012-08-29T21:04:08+09:00
2012-08-29T12:48:36+09:00
ken_ota
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皆様お元気ですか?
朝風呂から上がって薄着のまま朝日の中を
緩やかに流れる川の水に沿って歩いたりすると
それはもうこの上なく心地よかったりして
この季節ならではの良さをあらためて噛み締めたりもしますが
さて出かけようと午後になって車に乗り込むと
そこはまるでオーブンのような灼熱密閉空間。
体感的に最高と最悪というメーター両極への振り切れ方を一日で味わえるのも
夏の凄いところだなと、感心したりしなかったりです。
8月は自分が音頭をとるリーダーライブが8本ありました。
3度目の無伴奏ソロライブ、
音楽の深い淵へもぐってゆくようなハクエイキムとのデュオ、
熊谷ヤスマサ/川村竜/大槻カルタ英宣とのレギュラーカルテット、
石井彰/俵山昌之/池長一美という先輩方を迎えての新しい試み、
西藤ヒロノブというセンス溢れるアーティストとの初邂逅などなど
そのいずれもが心に新鮮に響いて
外へ外へと向かってゆく音が残す足場としての自分の内側に
同じ数だけの新たな音の萌芽がたまってゆく
アウトプットとインプットの自然な流れを経て
明日からのライブにまた新たな自分として臨めるという
音楽的・精神的な充実が嬉しい8月でした。
あと3日を残して8月が終わったような書き方になってしまったのは
明日から9月10日まで続くライブ&ツアーが
下半期スタートダッシュのような気がしているからで
素晴らしいメンバーとの連日の演奏で
この上半期の充実がどう結実するか
正直楽しみで仕様がないという、ハヤる気持ちを抑えきれていないのかもしれません。
8/31(金) 本厚木・Cabin
9/1(土) 柏・Nardis
9/3(月) 名古屋・Star Eyes
9/4(火) 岡山・MO:GRA
9/5(水) 広島・Speak Low
9/7(金) 熊本・KKRホテル
9/8(土) 志布志・Cureo Hall
9/9(日) 博多・New Combo
太田剣/ハクエイキム/生沼邦夫/大槻カルタ英宣 という
個々に縁もゆかりも深い間柄の4人が揃う初のツアーです。
新曲も携えて、音楽が語る終わりなきストーリーを
毎夜、皆様と共有できるのを楽しみにしています。
ぜひお越しいただければ幸いです。
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12.08.12 海から陸へと進化を遂げる間柄
http://kenota.exblog.jp/18607336/
2012-08-12T03:49:00+09:00
2012-08-12T11:49:41+09:00
2012-08-12T03:49:10+09:00
ken_ota
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暑い日が続いておりますが皆さまお変わりなく元気にすごされていますでしょうか?
前回ここに書き記した6月の東北ツアー後は
7月に単身札幌に飛んでの演奏や、その他いくつものLIVEで演奏を続けておりまして
そうこうしているうちに4年一度のオリンピックも始まり
もうそろそろ閉会式を迎えようかというこのお盆の頃に
あるミュージシャンと初めて共演することになりました。
知り合ってからもうかれこれ6、7年になるでしょうか?
あちらこちらでよく顔をあわせるのですが
ライブで顔をあわせることがなかなか無く
彼と初めてゆっくり長い時間を過ごしたのは昨年11月。
鹿児島の南端、志布志の海のそばにある
海水温泉の海水プールで一緒にジャブジャブ泳いだ時でした。
それから9ヶ月。
生命の進化さながらに
二人で陸に上がって一緒に演奏することになりました。
ずっと気になってて
いつか一緒に演奏してみたいと思っていた
素晴らしいギタリスト、彼の名は「西藤ヒロノブ」。
僕が愛聴している彼のアルバム『The Sea』も
そこここに海の匂い漂う、センス溢れる好盤で
西も北も南も海という渥美半島先端の土地で育った僕の
原体験にも共鳴する何かを秘めたその音楽性とのコラボレーションが
今から楽しみでなりません。
鈴木正人&大槻カルタ英宣という素晴らしいミュージシャンも揃って
さて、どんな音世界を創りあげられるか。
それによって僕自身の音楽人生に
どんな新たな要素が加えられるか
見知らぬ音、見知らぬ景色へのカウントダウン。
あと3日後になりました。
8/15(水)夜7:00はぜひ
横浜みなとみらいの「MotionBlue YOKOHAMA」で
二人の初邂逅に耳を傾け、全身で体感していただければ幸いです。
皆さまのお越しをお待ちしております!
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12.06.20 年を重ねた旅の思い出
http://kenota.exblog.jp/18214008/
2012-06-20T01:29:00+09:00
2012-06-20T14:10:45+09:00
2012-06-20T01:29:40+09:00
ken_ota
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早いもので2012年も、もう半分が過ぎようとしていますが
皆様いかがおすごしでしょうか?
四季の変化が美しいとされるこの国の気候も
年々少しづつ変化しているのはここに住む我々には明らかで
そんな中、いつまでも変わらない愛すべき何かを求めたいと思いつつ
それを求めようとすることで自分自身が変わってゆくというパラドックスに
停まることのない時間の流れの宿命を感じるたび
ふと立ち止まってぐるりと1周まわりを見渡してみたくもなります。
自分の立ち位置とか視野の微調整は
前に進もうと踏み出す足の揺らぎを無くす大切な過程だと思いながら。
この6月前半は西へ東へ、いや西へ東北へという感じで
演奏の旅に出ていました。
神戸・滋賀・東広島・岡山・名古屋はハクエイキム君とのDUOで。
仙台・新庄・盛岡・鹿沼へはハクエイ君と川村竜クンと大槻カルタ英宣クンとのQuartetで。
DUOでのツアーは全て、マイクやPA無しの生音で演奏しました。
ピアノとアルトサックス、二人だけだから出来る演奏環境でもありますが
なにより二つの楽器が空間に放つ、音という名の空気の振動が重なったものが
直接そこに居る人の耳や肌に伝わる、ごく自然な音の送受の心地良さと
決めごと無しで臨むことにより、僕とハクエイ君という二人の演奏家の
その時、心から生ずる音楽をリアルタイムで受け止めてもらうという
時空間共有の醍醐味を味わっていただくことが
自分たちの出発点であり最重要命題でもあった
とても意義深い、即興音楽への挑戦の日々でした。
それは今の僕が考え欲している音楽のとても大切な一つのカタチで
その後に東北に行った4人での音楽も、その志向や姿勢という点では
大きくかけ離れるものではなく、同様に探究心あふれる素晴らしいものになりました。
ハクエイキムという特異で素晴らしい世界観を持ったピアニストが彩るサウンドを
当代随一の音色・躍動感・音楽性を兼ね備える川村竜というベーシストと
不可能とさえ思えるほどバーサタイルに数多の音楽への造詣を深めている大槻カルタ英宣というドラマーが
まだ見ぬ景色を描こうとするが如く、巧みに広げてゆき
僕はその映像の上で語られるストーリーの言葉と、伝える声を一つ一つ吟味しながら選んでゆく。
イメージを共有する仲間、皆の
音楽に対して純粋であり続ける心に何の曇りも陰りもないことが
本当に気持ち良く嬉しい、そんな演奏の毎日でした。
1日だけゲストで加わってくれた盟友、小沼ようすけクンの
空気をも変える存在感とプリミティブに人間的な音楽性も素晴らしかった。
両ツアー併せて9公演。訪れた先の各地で
そこに住みながら音楽を愛し続ける多くの方々に大変お世話になりました。
ライブハウスを経営して音楽の素晴らしさを人々に伝え続けてくれる方々、
ライブを企画し宣伝し、何も無い所から一つの尊い夜を創りだしてくれた方々、
そこで僕らの音楽を共有するために足を運んでくれた皆さん。
演奏抜きでもまた会いに行きたい、そういう人たちとのつながりの時間を
多く持てたことが何よりの喜びです。
偶然なんですが、東北ツアー2日目の山形・新庄市でのコンサートの日は
僕の42歳の誕生日でした。
初めて会ったときから隣人のように暖かく迎え入れてくれて
行くたびに故郷に帰ってきたかのような安心感で嬉しくなる新庄FJCの皆さんとバンドメンバーが
僕のメモリアルな日にサプライズまで用意して祝ってくれたこと、本当に嬉しかった。
人が人を思いやる気持ち以上に
人の心を感動させるものなんてないのかもしれない。
また一つ大切なことを教えてもらった気がします。
新庄FJCの皆さんとの話→2008年11月・2009年11月
全9公演、お世話になった皆さま、聴いてくれた皆さま
本当にどうもありがとうございました。この先もずっと忘れることなく
大切なものとして心に残る素晴らしい日々の記憶をいただいたこと、とても感謝しています。
歯に衣着せぬ情熱むき出しの議論で音楽を少しでも良いものにしようとしてくれた
ツアーメンバー皆にも。ありがとうございました。
また明日から音楽を演奏するのが楽しみです。
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