皆様、新年あけましておめでとうございます。 『21世紀の〜夜明けは近い〜♪』と夏の盆踊りで聴いていた子供の頃には 想像も出来なかった『未来』である21世紀をもう五分の一も生きたことに気づき、 刻一刻と過ぎ行く時間の容赦無さに軽く眩暈すら覚える2020年のお正月。 昨年末に『Organic Bop!!』というCDをリリースいたしまして、 制作・録音・リリース・販売にお力添えいただいた皆々様、 そしてお買い求めいただいた皆様に厚く御礼の意味も込めまして、 更新の久々すぎるblogですが、 CDブックレットには記されていないこのユニットのこと、 収録曲のことなどを書き記してみようかと思います。 ●ユニット『Organic Bop!!』の歴史(アーティスト名は敬称略で失礼します) 『SOULIVE』とかJoshua Redman(ts)『Elastic』バンドなどJam Band〜オルガンジャズの ムーブメントが盛り上がっていた21世紀初頭、金子雄太(org)『AQUAPIT』や 小沼ようすけ(g)『nu Jazz』バンドのLIVEで活動しながら、 僕自身もオルガンを中心とした『Organic!!』というLIVEを、 僕・金子雄太・大槻カルタ英宣で細々と演っておりました。 そのユニットのLIVE活動をお休みして数年。 僕(as)川崎太一朗(tp)河合代介(org)大槻カルタ英宣(ds)という、 ラリー・ヤング(org)の名盤『UNITY』編成の『2Horns Bop!!』というユニットで LIVEやツアーをし続けているなかで、1ホーンの選曲があったり、 ツアーの予算の都合もあったり(泣)で『2Horn』とはならないLIVEもありまして、、 前述の『Organic!!』と『2Horns Bop!!』をミックスした『Organic Bop!!』となりました。 太田剣・河合代介・大槻カルタ英宣で。 「オルガンでハードバップ」「オーガニック(自然有機的)なジャズ」という Wミーニングなユニット名ですと説明しておりますが、後付けではありませんよ、決して。 〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜 ●CD『Organic Bop!!』全曲解説! ハモンドオルガンという楽器は、左手もしくは足でベースを弾き、 両手でハーモニーとメロディ(ソロも)を奏でるということで 通常2人ないしは3人で担っているパートを一人で演る、という重責があるため オルガニストがナチュラルに身体に馴染んだ曲を演奏するのが Sounds Good!な音楽へと繋がることもありまして、 選曲は河合代介さんのレパートリー&太田剣チョイス曲で構成されております。 1.【 Mellow Mood(Jimmy Smith)】 言わずと知れたジャズオルガンの神様、ジミー・スミスの曲。 1968年作品『Further Adventures of Jimmy and Wes』というジミー・スミスと ウェス・モンゴメリー(g)の共演盤での演奏が有名ですが僕等はテンポ速めの ファンクバージョンで録音してみました。 2.【 Mimosa(Geoge Benson)】 ジミー・スミスの『Off The Top』(1982年)が世界初録音かと思いますが、 そこに参加したジョージ・ベンソン(g)が提供した彼のオリジナル曲。 ジョージ・ベンソン(g)自身の作品ではアール・クルー(g)との共演盤、 『Collaboration』(1987年)に収録。ジミー・スミス盤では演奏されていなかった ドラマティックなイントロ兼アウトロのメロディを吹くのが好き。 3.【 Dania(Jaco Pastorious)】 作曲者ジャコ・パストリアス自身の公式録音はおそらく 1985年の『Brain Melvin's Nightfood』だけ?1983年の日本ツアーでも演奏されてしてました。 結構な高速テンポで演っちゃったので、たしか1テイクだけしか録音してないかと。 別テイクありません。。 4.【 Lost Highway(太田剣)】 小林陽一(ds)Good FellasでツアーやLIVEを共にしていた 5歳年下のベーシスト高道晴久クンが空の向こうへ旅立って7年。 参列した彼の葬儀の日に見た高い高い青空と、 その頃の連休中に大渋滞の高速道路を降りてLIVEに向かう道すがら、 初めて見た素晴らしい景色の二つが心の中で入り混じって出てきたメロディ。 bass(clarinet)で奏でたよ、高道クン。 「高速道路を見失った」「高道クンが居なくなった」という2つの意味が曲名に。 5.【 New Season,New Scene(太田剣)】 初期『Organic!!』の頃に作った曲で、 冬が終わって春が来ると 新たな出会いもいろいろあるけれど 昨日まで毎日のように会っていた人に全然会わない日々が始まったりもして 高揚感とセンチメンタルが同居する感じを曲にしてみたような。だったような。 6.【 Asteroid(Charles Earland)】 チャールス・アーランド(org)の1974年作品『Leaving This Planet』に収録されている ファンキーなSwingナンバー。曲のことを『ナンバー』って言うの、さすがに令和ではNG? 聞くだけで気分がアガってしまうバンプを延々と繰り返すエンディングでのドラムソロは 途中でフェードアウトさせる予定で録音してたのですが、 内容が素晴らしかったので最後まで採用、ということで長いんです。 7.【 Youkali(Kurt Weill)】 1934年に大作曲家クルト・ワイルがミュージカルのために作曲した曲で、 ジャズよりもシャンソンやオペラ歌手に歌われることが多い名曲。2曲目の『ミモザ』と、 この『ユーカリ』。植物の名の付く2曲を収録した点が『オーガニック』バップ!! の Wミーニングを後付けではないという証拠です。 でもこの曲の『ユーカリ』は樹木のことではなくて想像上の『島』のことらしい。。 8.【 Mr.Fonebone(Bob Mintzer)】 ボブ・ミンツァー(ts)がイントロを吹き始めたものの、バンドリーダーの ジャコ・パストリアスが一向にステージ袖から出て来なくてランディー・ブレッカー(tp)らと 「おい、この状況どーする?」みたいに顔を見合わせてる6分半くらいが面白い ライブの映像などでもお馴染みの楽しい曲。 こういう人間くさいやりとりの体裁を整えずに見せる/聴かせるのもジャズの魅力の一つかと。。 9.【 Grandmother's Waltz(太田剣)】 子供の頃、夕食後に家族でコタツでみかんでテレビとかを見てる時に おばあちゃんはいつも正座で身体をゆっくりゆらゆらさせながら隣にいてくれたなあ、と。 数年前に他界したおばあちゃんを想っていて出来た曲です。 ビル・エバンス(p)とスタン・ゲッツ(ts)の演奏で有名な『Grandfather's Waltz』は おじいちゃんの方だったので、おばあちゃん子だった僕はおばあちゃんの歌を。 ジミー・スミスが2曲、 ジャコも2曲、 樹木の曲が2曲、 忘れられない人を偲ぶ歌が2曲、 Wミーニング(ユニット名&曲名)も2つ、、、と、 こうしてみるとなかなか、双子座の自分らしい内容だなあと、思いました。 さすがにこれは後付けです。。 今年もどうぞよろしくお願いいたします。 #
by ken_ota
| 2020-01-04 21:15
新年あけましておめでとうございます。
昨年も多くの皆様に大変お世話になり つつがなく新年を迎えることができました。 どうもありがとうございます。本年も何卒、よろしくお願いいたします。 LIVEやその他、自分の音楽活動についてお知らせすることが多いもので、 それらはTwitter、FacebookなどのSNSで投稿、 それ以外のトピックやお話をこちら「NOTES」に記そうと目的別にしてみたところ、 連日、LIVEの告知や感想の投稿が先立ってしまい、 あっ、と気がついた時には、こちら「NOTES」丸2年更新してなくて 書こうと思いたった時はうっかりログインネームを忘れている始末。。 記憶を辿って何とかログインできました。ああ良かった。 明日は地元、愛知の名古屋で新年初LIVE、という日の前夜ですが ふと振り返ってみると、昨年は何だか不思議な年だったなあと 偶然にしては出来すぎていた、縁の巡り合わせを記しておきたくなりました。 早稲田大学第一文学部に入学した18歳の僕は 福永武彦など、日本の近現代文学を専攻するつもりで中国語を第二外国語に選択。 しかしロシア文学の魅力に魅かれてしまい「ロシア文学専修」に進むため 第三外国語としてロシア語を別途受講するという、若さからくる勢い任せの エネルギッシュな学生だったわけですが、ロシア語の難しさが身にこたえたのか、 卒業後は酒瓶ラベルのロシア語を読む時くらいしかロシア語と接してませんでした。 一昨年、じゃなくてもう二昨年か。2015年の新春に、京都の仁和寺の境内で 真冬の寒空の下、早朝に女優の栗山千明さんを前にサックスを吹くことになりまして。 日テレ「心の都へスペシャル」という番組のロケだったのですが 出演回のテーマが「桜」ということで桜の名所で吹く「桜」モチーフの曲を 作って欲しいと言われ「桜の記憶」という曲を書いたのですが、 作曲の際にピアノの前に座って頭に浮かんだのは 大学の頃、春先に公園のベンチに座っていた自分をまるで何か祝福するかのように 風に吹かれて空から舞い降りてきた桜の花びらの風景でした。 そして昨年、自分のバンドで海外公演の依頼を受けたのですが、その行き先はロシア。 これまでにも、クリヤマコトさん率いる日豪混合バンドでオーストラリア、 小沼ようすけバンドでジャカルタ、大槻カルタ英宣バンドでアメリカのデトロイトなど 海外公演は色々ありましたが、自分名義で最初の海外進出がロシアというのは なかなかの奇縁だなと。北海道の北に位置するサハリンでのジャズフェスティバル、 開催会場は「サハリン島」という作品でこの地を紹介したロシアの文豪、チェーホフに因んだ 「チェーホフ劇場」でした。チェーホフといえば「桜の園」。その戯曲作品を思い出した時、 チェーホフ劇場で自作曲「桜の記憶」を演奏するのは最早、僕にとっては必然でしかなく、 当夜のステージ上での自分のMCは全て、25年ぶりに話すロシア語で通しました。 翌朝、ロシアのインターネットNEWSでとりあげられたフェスの記事には 「彼らは『SAKURA MEMORY』を演奏した」と書かれていて ロシア語MCが通じていて良かったなあと。 →ロシア「SAKHALIN INFO」 ロシア文学を学んでなかったら、ロシア語でMCはしなかっただろうし チェーホフも「桜の園」も知らなかった。 ジャズを演ってなかったら、TV番組にも出なかったろうし 「桜の記憶」という曲を作ってもいなかった。 桜の木の下のベンチに座ってなかったら 桜の記憶も自分の中にはなかっただろう。 25年の時を経て、生きてきた道のりで培った色々なものが 巡り巡って繋がった、そんな不思議な2017年でした。 さて2018年。今年も色々頑張ります。 また近々、きっとこちらにもログインしますので、 その際はまたご一読どうぞよろしく、よろしくお願いいたします。 2018 新春 太田 剣 ![]() #
by ken_ota
| 2018-01-03 03:55
故郷、愛知県の渥美半島の田原市教育委員会から連絡をいただいたのは今年の春。
4月に開校した新校、伊良湖岬小学校の校歌作成の依頼だった。 校歌、といういささか畑違いの音楽への挑戦に、 自分が出来るのだろうか?と躊躇すること数秒。 しかし、10秒も経たないうちに「お引き受けします」と電話で即答していたのは 純粋にやってみたいという気持ち半分、 自分の生まれ育った故郷で過ごす子供たちに 音楽でこの土地の素晴らしさを伝えたいという思い半分。 一昨年の秋より拝任した「田原市ふるさと大使」唯一の音楽家としても これを完遂したら少しは地元のお役に立てるかもしれないと、そんな気持ちだった。 開校から一ヶ月後の5月。 教育委員会の方々と共に伊良湖岬小学校を訪問して 学校を案内してもらったり、教室での子供たちの姿を見させてもらったり。 そんななか、先生がたに学校や校歌の沿革を伺っていて、一つ驚いたことがあった。 伊良湖岬小学校は 旧・伊良湖小学校、旧・和地小学校、旧・堀切小学校という3校が 統合されて出来た新設校ということで、 参考までにそれら3校の校歌を見させていただいたのだけれど そのうちの1校、旧・伊良湖小学校の校歌の作曲者は ジャズ・クラリネット奏者、藤家虹二さんだった。 小学生の頃、ブラスバンドでトランペットを吹いていた僕は 中学校に上がったらアコースティックギターをやろうかなと漠然と思っていたのだけれど 6年生、12歳の時に父に連れられ伊良湖ビューホテルで聞いた初めてのジャズ、 藤家虹二さんの演奏は衝撃的で、 正直、最初から最後まで何が起こっているのか全く理解していなかったけれど、 あっという間にその音楽の魅力にひきこまれた僕は 帰りの車中もジャズとクラリネットのことで頭が一杯で それ以来、ギターのこと忘れてしまったような。 中学生になった時には、当たり前のように 父がバンドマンの方から譲り受けたテナーサックスを手にしていた。 2007年8月、日比谷公会堂での第39回サマージャズというフェスティバルに出演した際に 藤家虹二さんもご自身のバンドで出演されていて 楽屋でお話しすることができた。 初対面の僕に、あなたの演奏がきっかけでジャズを始めましたと積年の思いを熱く語られても、 自分の演奏を聴いていた聴衆のなかに居た子供の一人ゆえ 藤家さんにとってはニコニコ笑って聞くしかなかったろうと 今では少し恥ずかしいけれど、ずっと胸にあった感謝の思いを伝えずには居られなかった。 それから3年後の2010年秋、 小学生の時に藤家さんを見た伊良湖ビューホテルの同じ場所に、今度は自分が立っていた。 客席からステージへ上がるまで28年。感慨深いという一言では言い尽くせぬ気持ち。 その1年後、残念ながら藤家さんはお亡くなりになった。 バトンを渡したつもりなど毛頭ないかもしれないけれど、 この地に生まれた僕としては、受け継いでゆかねばならないことのような気がした。 それから5年、今度は校歌。これも藤家さんの遺業。 クラリネット演奏のみならず「ひらけ!ポンキッキ」「未来少年コナン」などの 音楽監督も務めた藤家さんの数ある音楽活動の中のたったひとつとの巡り合わせ、 それは偶然かもしれないけれど、きちんと役目を果たさねばと 身の引き締まる思いで臨んだ。 広島出身の藤家さんは作曲のみだったけれど 僕は生まれ育った土地の風景、生活を良く知っているだろうということで 作詞も依頼されたことは、とても嬉しかった。 学生時代に文学部で取り組んでいた言葉の美学と それ以来ずっと追い求めていた音楽、その二つを一つの歌に融合させる試み。 特別な思いと、新鮮な感覚に満ちた、清々しい挑戦でした。 先日、11月の文化の日の前日に、出来た校歌のお披露目の会に 伊良湖岬小学校を再訪したときに 校長先生がこんなことを教えてくれた。 「ウチの学校の生徒に、親に連れられて 伊良湖ビューホテルで太田さんの演奏を聴いたって子が居ましたよ。」 次に校歌を作るのはその子かな。 ![]() #
by ken_ota
| 2015-11-09 15:34
滋賀県大津市にあるJazz Place「ねこ」のオーナーであり
ジャズ・トランペッターでもある浜田博行さんが今月25日に亡くなった。 享年51歳。パセドウ病からの心不全だったらしい。 先月末に同県野洲市で開催されたオクトーバーフェストでのステージの トリを飾った浜田さんのバンドにゲストとして呼んでいただき 楽しいひと時を過ごしたばかりで、 年末の再会の話なんかもしてたくらいだから この訃報は120%予期していなかった、というか 未だに信じられないし、 ほんの数%でもこの情報がひっくりかえる可能性があるならば 嘘であってほしいと願っている自分が居る。 でも、そうはいかないのが世の常。我が身の無力感に苛まれるも、どうしようもない。 知り合ったのはもう10年も前になるかな。 小林陽一&Good Fellasのメンバーとして浜田さんのお店「ねこ」に出演した。 僕の演奏を気に入ってもらえたようで、 それ以来、ホールコンサートや、大阪「ロイヤルホース」でのライブ、 琵琶湖ジャズフェスティバルなど、自分のバンドが出演する幾多のステージに呼んでくれて 隣で吹かせていただいた。 歌も歌う浜田さんお気に入りのジャズシンガー牧野竜太郎くんと吉岡秀晃さんとのトリオツアーで 4年前のちょうど今頃「ねこ」を再訪、出演させていただいたのも良い思い出。 いつ会っても、気さくで優しくて頼もしくて、でも少しシャイな、人生の先輩だった。 滋賀県文化奨励賞も受賞されて文字通り「滋賀ジャズの顔役」として 八面六臂の活躍をされていた浜田さん。 来年は東京でも一緒にライブをやりましょうと 意気投合した、先月の演奏の打ち上げはホントに楽しかった。 音楽にも、人にも、動物にも、深い愛情を注ぎ暖かく包み込む その人柄と穢れなき心は、そのまま彼の演奏にも表れていた。 浜田さんの吹くトランペットのベルからまっすぐに伸びて広がるその音は 僕がこの人生で出会った最も美しいものの一つです。 本当に色々ありがとうございました。 お世話になった数多くのご恩を返すことも出来ないうちに 旅立たれたことが残念でなりませんが 今はただ、その魂が安らかに眠らんことを願います。 またいつか、この空高き何処かで会えたら 並んで一緒に演奏させていただくのを楽しみに 頑張って精進しておきます。その時はお手柔らかにお願いします。 2015.10.29. 太田 剣 ![]() #
by ken_ota
| 2015-10-29 02:43
今日、家にサックス専門誌「The SAX」の見本誌が2冊届いた。
今号はvol.70。 記念すべき創刊70号は特別版の装いで 国内サックス史を振り返る記事が載ってたり これまで紙面に登場したサックス奏者たちのワンポイントアドバイス総集編とか とても豪華な内容。特別付録のCDまでついてる。 この付録CD、世界的に有名な名曲を数人のサックス奏者が吹いていて 今回、その一人として演奏させてもらったので 見ると、表紙の片隅に自分の名前も載ってる。おお。 編集部からこの依頼をいただいた時に曲目の指定があった。 「“New York State of Mind”をピアノとDUOでお願いします。」 僕のLIVEに足を運んでいただいてる方はお気づきかもしれないが 近年、ポップスのカバーを自ら演奏することはほとんど無く 年々、コアなジャズ度が高まっているような気がしている僕が ビリー・ジョエルのあの名曲を一体どう料理すればよいのか。。。 と考えた時に、はたと気づいた。 ビリー・ジョエル。 6歳で始めたピアノではバッハやモーツァルトの曲を弾き 10歳で始めたトランペットではマーチングバンドの曲を吹き 13歳で始めたテナーサックスでは吹奏楽の曲を吹き 16歳で始めたアルトサックスではクラシックのコンチェルトなどを吹いていた僕が 高校生の頃に初めてバンドで演奏した曲がビリー・ジョエルの“Piano Man”だった。 クラスメートに、文化祭でバンドのLIVEやるからサックス吹いてよ、と言われて演奏したのが バンドでポップスを吹いた最初の経験だったな、そういえば。 クラシックにのめりこんでいた10代の自分が演奏したビリー・ジョエル。 ジャズにのめりこんでいる40代の自分が演奏するビリー・ジョエルはどんな風になるだろう?と 少し因縁めいたこのオファーに興味が湧いてきて、やってみることに。 ここ数年、素晴らしいピアニストの方々とDUOでライブをさせていただいているが この選曲とちょっとひらめいたアレンジに思いめぐらせたとき 自然と、それを弾くピアニストの顔も浮かんできた。 熊谷ヤスマサ。 そうだ、熊ちゃんがいい。 もう4、5年以上一緒にやっているだろうか? 最近は都内某所で月に1、2回、 二人でジャズスタンダードばかり掘り下げるDUO、 通称「スタンダード研究会」、略して「スタ研」を継続しているので その研鑽の記録を1曲でも残したいという気持ちもあるし。 で、録音してみたわけです。 よく知られたこの曲のAメロのハーモニーに現代的なジャズの要素を取り入れてみたのだけれど 出来上がったものを後から客観的に聞いてみると スタンダード曲「時には母のない子のように」のような雰囲気。 ヘレン・メリル(vo)とスティーブ・レイシー(ss)が一緒にやっている 大好きなバージョンの「匂い」が知らず知らずのうちに出てしまったのかもしれないな。 しかし、熊ちゃんのピアノは素晴らしい。 全く揺らぐことなく安心して身を委ねられるタイム感。 分厚く重みのある沈んだ音色。これが実はエレピの演奏だと誰が気づくだろう? ブルースとゴスペルの要素が詰まったアーシーでソウルフルなプレイ。 録音を聴いてあらためて思う。彼は真にリスペクトに値する素晴らしい「Piano Man」だ。 2冊届いたうちの1冊を、今度会うとき熊ちゃんに渡そう。 長年一緒に演ってきた熊ちゃんとの初録音。 ものは付録でも、僕の人生にとっては付録じゃない、大切な思い出の1曲。 譜面もついてます。サックスをやる方も、そうでない方もよかったら聴いてみてくださいませ。 ![]() #
by ken_ota
| 2015-03-26 02:28
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